K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

二年前の話

つい先日のことだが、京アニの事件から二年が経過したということで、時間が流れる速さを実感している。
昨日のことのように……とまでは言わないけれど、ニュースが流れてきたタイミングにどこで何をしていたのか、よく覚えている。
半分以上は会社に時間が奪われていたとはいえ、二年が過ぎるのはあっという間だったし、これから二年後も遠くない話なのだろう。

 

事件そのものについては、他の多くの人間と同じように、私はショックを受けて落ち込む羽目になった。
人生に大きな影響をもたらしたアニメの制作会社が、どうしてこんな目に……やるせない気持ちが延々と湧き続けて、頭がどうにかなってしまいそうだった。

当時、人生の方向性を決めるための新しい試みを始めたばかりで、今から思えばメンタル面においては非常に順調に進めることができていた。前向きに、やりたいことに取り組む。思ったような結果が出たり出なかったりして、試行錯誤するのは楽しくもあり、苦しくもあり……そしてその流れは、たった一つの出来事で消滅した。
きっとあの日から、私は心の底から楽しんでクリエイティブな作業に没頭するということが、上手くできなくなってしまったのだ。
結局、自らの身体を動かすのは自分自身でしかないわけで、単なる怠け癖が悪さをしていると言われたらそれまでかもしれないけれど、しかしながらあの衝撃だけは無関係とは思えない。
もともとは私の中にあったはずの何か大きな気力の塊のようなものを、二年前の夏に、どこかで落としてしまったらしい。

ただ、それも、もう時効だ。
傷が癒えたかはわからない。けれど、もうとっくに気持ちは別のほうを向いていて、私の心を縛っている呪いは、いつでも解くことができるような気がしている。

 

二年前のあの日から、二日後のことだった。まだ、私は大きなショックから立ち直ることができないままで、隙があればニュースをチェックせずにはいられない状態だったのだが、その夜には久しぶりに大学時代の友人と会う約束があった。
それぞれが近しい思想を持ちながら、立場は各々で異なるし、今後の生き方も大きく変わると思われる三人。大学に通っていた頃は、連絡のつかなくなったもう一人を加えて、よく徹夜で麻雀をしたものだった。

しばらくぶりの再会だったから、話は当然ながら弾む。喉が潰れてしまうのではないかと心配になるくらいに、いくらでも言葉が出てきて、あるいは聞き手に回れば興味深い話題に頷き、議論を交わし、まさに有意義という言葉を体現したかのような時間だったと記憶している。
一次会は百貨店内のレストランで、二次会と三次会はバーをハシゴする形で時間を潰し、ちょっとした非日常を体験した。
最後には雀荘に入って三麻で締めたような気がするが、勝ち負けについてはよく覚えていない。

同じような趣味を持ち、もちろん京アニ作品についても視聴経験があるわけで、事件のことがショックでなかったはずがない。
にもかかわらず、その長く有意義な時間の中で、一度たりとも話題に上らなかった。
互いに気を遣っていたのか知らないけれど、示し合わせたわけでもないのに、事件について触れるのは明らかに意図して避けられていたのだ。
不思議な現象ではあるけれど、あれは本当に助かった。ニュースを見て頭を悩ませて、しかし解決する手段がない。そういう苦痛を貴重で楽しい会話に持ち込まないことは、場の空気を気まずくしてしまわないための、最も重要な要素だったと言っても過言ではないだろう。
相手のためというよりは、自分のため。けれど、そういうレベルで気の合う人間こそが、長く付き合える友という存在なのかもしれない。

二年が経って、その間に会った回数は、記憶が正しければそれぞれと二回ずつ。
あれ以来、三人で集まったことはない。こういうご時世になってしまったのが最大の原因ではあるけれど、立場や普段の活動など、注力する対象の規模や範囲が互いに変化していることもあって、かつての仲間と会う時間を抽出するのが難しくなっているという事実も確かにあるのだろう。
あれだけ刺激的な日はなかなか訪れるものではないし、個人的にはまた会ってバカ騒ぎしたいくらいなのだが、それが叶うのはいつになることやら。

思ったまま行動に起こせるタイプの人間なら、とっくに企画しているはずだけれど、あいにく私は基本的に、人間関係においては他人の誘いに乗ることしかできないのだ。
最近はLINEのグループが一切動いていなくて、少し寂しさを感じないでもない。