K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

わけがわからない

「あれが見たいと思っていた」という過去の興味関心の心を、唐突に思い出すことがある。今日の私は、昨年ちょっとばかり話題になっていた『TENET テネット』が気になって仕方なくなっていた。
もう映画館で観ることができないのは残念だけれど、Amazonでレンタルできるのでポチリ。ほんの軽い気持ちで鑑賞することになった。

 

この映画は、なんというか……これまでに観た数々の映画の中で、最も難解と言ってもいいだろう。頭に浮かんでくるハテナマークが解消されないうちに次々と「よくわからない展開」が続いていく。目の前で何が起こっているのか、私は何を見せられているのか、答えが出ないままに物語が進んでいって、そして終わる。
評判は聞いていたのだ。何回も観てようやく理解が進んだとか、文系には難しいとか。
まぁ後者については、専門的な用語が当たり前のように使われていたから出てきた感想なのだろうが、本質はそこではない。とにかく映像として見せられている展開そのものが複雑を極めているから、流れていくシーンを把握しつつ脳内で整理することが初見では不可能に近いという話なのだ。

物語の受け手というのは、いつだって制作者よりも弱い立場にいる。彼らが生み出した世界において、私たちはその世界を構築している諸要素についてイチから観察を繰り返して分析をする必要がある。フィクションの醍醐味だ。
しかし、作り手はわざわざ一つひとつをわかりやすい形で提供する義務なんてない。現実世界で起こっている日常的な現象が殊更に意識されないのと同じように、いったん作者の頭の中で基盤が完成してしまえば、あとはどうやって面白く見せ場を仕上げるかが焦点となる。ありのままでは不親切だからと細かく解説を入れてしまっては情緒に欠けるし、何より余計な間が生まれてしまって面白さを損なう可能性すらある。
前衛的なアイデアが浮かんだら、とことん強みを活かせるように思いっきり勢いをつけて投げるようなイメージのほうが、むしろ話題性を生み出すのではないか。
この作品は、実際にそんな感じだったのだと思う。

さて、しかしながら最後まで観たのに意味不明のままで終わってしまっては、せっかくの二時間半がもったいない。何か深いものの片鱗に触れたような気がするのに、その感覚を分析せずに忘れてしまうのは感性の損失にも繋がりかねない。
大まかなストーリーライン自体は明瞭なものであったから、なんとなく「こういうことなんじゃないかなぁ」という予測はできるものの、主に中盤から終盤にかけてのギミックがこんがらがっていて、すっきりとした理解を妨げているというのが端的な感想だ。
登場人物がそれなりに多いにもかかわらず、ほとんど説明がなく進行していくものだから人間関係を掴むまでにも一苦労だし、「あれは何? これはいったい……? つまりどういうこと?」という大小様々な疑問が積み重なっていくうちに、大掛かりな仕掛けの本質を解釈するための思考リソースは枯渇していく。
小説やアニメでは珍しいことではないけれど、一本の映画としてはなかなか貴重なものではないかと個人的に思う。

解説を読んでからの二度目のほうがずっと楽しめるというのは、どうやら本当のことらしい。
話題になっただけあって詳しい解説サイトがいくつか見つかったので、明日にでも読んでみたいところだが、あいにくAmazonのレンタルは48時間限定らしくて、二日後までにもう一度観る時間と体力が確保できるか微妙なところだ。

それにしても、この映画の一番凄いところは、実際に実写として映像化できている点にあると思う。突飛なアイデアだけなら、まぁ考えていたら浮かんでくることもあるだろうし、頭の中を泳がせるだけなら自由だから可能性は無限大だ。なんでもできる。
けれど、映画は一人では作れない。この複雑な話を具象化させるには、どれだけの時間と熱意が必要なことか……映像という最もわかりやすい形にしてもなお、ほとんどの観客にとってはわけがわからないのだから、最初におそらく文字ベースで内容を伝えられるキャストをはじめとした制作陣は、大変だったに違いない。

観ているだけでは理解が難しく、真に楽しむためには努力が必要という点において、この映画は単なる娯楽の一歩先にあるような気がする。私は結構なことだとは思うが、人を選ぶとも思うし、他のすべての作品がこのような傾向になっても疲れてしまうだろう。
こういう作品は、たまに出てくるからこそ輝くのかもしれない。