K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ずっと雨

もう、うんざりしてしまう。
沖縄では梅雨が明けたらしいが、関東はここにきてようやく梅雨本番といった天候が連日のように続いていて、朝も昼も夜も雨、雨、雨。たまに止んだかと思えば、また降ってくるから迂闊に外出するのを躊躇ってしまうし、早朝の習慣である散歩は実施を妨げられている。
幸い、気温は低めなので蒸し暑いということはなく、若干湿度が高い程度だから引きこもっている分には過ごしやすくはあるのだが。

 

それにしても、自らの怠慢ではなく外的要因で習慣がストップしてしまうのは、とても悔しいものだ。
ようやく身体が慣れてきたところなのに、その感覚が有無を言わさず途切れてしまうから、次に実施しようとしたタイミングで晴れていたとしても、その時にはモチベーションが落ちてしまっていて上手くいかない可能性がある。

流石にこのまま何もしないでいると運動不足の身体に戻ってしまいそうだから、今日は普段の散歩を終えたのと同じくらいの疲労感を覚えるまでスクワット的な動作を繰り返した。
スクワット的な、というのは、特に正式なフォームを意識するわけではなく、脚の様々な筋肉を刺激させるために妙な体勢で負荷をかけまくっていたからで、同じことをもう一度やろうとしても難しい。
そこそこ発汗して、心地好く感じる程度に息も上がり、狭い室内でやれる運動としては十分な質だったように思う。これで明日、適度に筋肉痛になっていたら、目論見は成功だ。

 

雨が降り続くことで影響がある代表的な営みは、一般的には洗濯あたりだろうか。
私の場合は週一でしか洗濯機を回さない上に、ドラム式だから乾燥機能を使っていて、天候によって左右されることはない。
そもそもベランダがないから、室内干しをするか乾燥機能を使うしか選択肢がない。今から思えば、面倒くさがりな私にとっては、縦型かドラム式かという入居時の悩みは、もはや悩みですらなかった。

雨が降っていると買い出しに行くのが億劫になるという問題はあるものの、ある程度の買い込みをしていれば二週間くらいは兵糧攻めにも耐えられる状況ではあるので、次の晴れの日まで外に出ることはないだろう。
そうなると、必ずしも雨がデメリットばかりではないことに気づく。
雨音というのは心に落ち着きをもたらしてくれるものだし、水の落ちる音は細かい雑音を一気に掻き消してくれる。たとえば隣人が発する些細な生活音は夜間にも気にならなくなるし、自分が出す音もほとんど目立たなくなるから余計な配慮を考える必要がなくなって、精神的な負担が非常に軽くなる。
無用の訪問者も減るから、要らないことに神経を割かなくなるのは、雨の日の最大のメリットとも言える。極論、自分が外に出ない日はずっと雨でもいいかもしれない。

とはいえ、やはり気圧の影響や太陽光の減少とか暗くて気分が冴えないとか、雨が降り続けることによる健康面への異常が発生しないとも限らないので、天気も他の自然現象と同様に適度にランダムなほうが、人にとって幸福度は高くなるだろう。
最近の私の生活リズムがガタガタなのは気候のせいではないのだけれど、そのうち天気が悪いから、などと言い訳しそうだから、そろそろ梅雨明けしてカラッとした夏を迎えてほしい。