K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

絶不調の原因

あれやこれや複雑な思考を繰り返しても一向に答えが見つからなかった最近の不調について、暑さにやられた頭で考えを単純化してみたところ、ふと原因に思い至ったような気がした。
それは、調子が悪いから調子が悪くなるのだ、というものだ。
何を言っているのか自分でも十分に理解できていないかもしれない。しかし、突き詰めていくと、それこそが答えとしか思えなくなってしまった。

 

日常においてストレスを感じるタイミングが、どのような場合なのか。シンプルに言えば、それは物事が予定通りに進まなかった時だ。
想定するシチュエーションはなんでもいいが、たとえば仕事をしていてストレスになるのは、予定外の作業をする羽目になって自分の時間が減ったりとか、思っていたよりも苦戦してリスケを余儀なくされるとか、もともとは頭になかったネガティブなサプライズによるものが大半を占める。
たとえばゲームにおいてストレスなのは、乱数の機嫌が悪くて期待値を下回る結果しか出せなかった時や、あまりにも味方の動きが悪くて己のパフォーマンスを満足に出せない時がほとんどだろう。

現在の私が抱えている問題の根本にあるのは、そういった類のストレスによってモチベーションが阻害されまくっているという精神面の悪循環なのだ。
上手くできなかった、やれなかった。それが次の機会を作り出すエネルギーを少しずつ奪っていき、一定のラインを過ぎたところで簡単には取り戻せないくらいまで心が堕落する。
もっと抽象化するなら、失敗を糧にできずに却ってトラウマにしてしまっているようなもので、少し前のマイナスを引きずって、より大きな負の塊を更新し続ける悪夢のような状態だ。

具体的にこれが悪い、だからこうすれば解決する……そんな心地のよい改善策は、この地獄のループにおいては見つかりようがない。存在しないものを、いくら考えても仕方なかったのだ。
今この瞬間に達成できなかったその感覚が、次なるチャンスを掴むことすら妨げる。そして、主観的なレベルにおいてはそれに気づくことなく、なぜ駄目なのだろうと再び頭を悩ませることに貴重なエネルギーを浪費する。

……という感じで、ぼんやりとした思いつきを把握するために、とりあえず文章化してみたわけだが、いやはや恐ろしい病に罹っていたのかもしれない。
この説が必ずしも正しいとは限らないけれど、仮に方向性が合っているとすれば、いくら時間に解決を委ねようとしても、一生まともな生き様を手に入れることはできないのではないか。
それくらいに深刻な気がしてならないのだ。

 

さて、仮定ではあるものの現状に対する認識は、それなりに改めることができたように思う。
そうなると次に考えるべきは、どのように動けばこの窮状から脱することができるかという話で、まぁそれがわかっていれば苦労はしないので、結局のところ難しい状況に変わりはない。
ただ、ヒントは何気ない生活の中においても無数に転がっているような気がしている。どれだけ刺激に乏しい鬱屈とした毎日であっても、多かれ少なかれ調子に波はあった。絶不調の形にも、日によって個性が見られたのだ。
それこそが微かに残された抜け道なのではないかと、いったん推測してみることにする。

光明が見える状況で最も頻度が多いのは外を歩いている時で、基本的に散歩か買い出しといったタイミングとなる。もちろん、移動が目的なのだから歩くことしかできないわけだけれど、思考は自由なので別のことに考えを巡らせていることが少なくない。
あれがやりたい。これがやりたい。歩いている時のそれは、思い返してみると猛烈なパワーを感じることができた。
それは、ひょっとすると「歩く」という行為が基礎的な動作であり、かつ運動や移動といった目的を達成する道標になっているからではないだろうか。ちょっとした活力をもとに、いわば小さな成功体験が不断に重ねられているのだ。
それが妄想の中で暴れることによって、力強いエネルギーが発生する。要するに、これを思考だけでなく実際に転用できれば万事解決するのではないだろうか。

そういうわけで、目標未達成によるマイナス感情がモチベーションの爆発を邪魔してしまうのだとしたら、とにかくなんでもいいから達成感を味わっていくことが肝要なのではないかと私は考えた。
真に取り組みたい作業とは直接的には関係ないにしても、動くための起爆剤になればいい。何か、次の動作に繋がるような課題を毎朝の習慣にできればいいのだが……私のデイリーミッション探しが、当面の宿題ということになりそうだ。