K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

手の込んだ告白と恋心の行方

先日、実家に帰った際に家族の一人から薦められた映画を観てきた。
『フリー・ガイ』という先月中旬に公開された作品なのだが、もうすぐ終了らしいので早く観なくては、と思っていた。
あまり期待しすぎても損することが多いけれど、評判は概ね良好だったし、まぁ十分に暇潰しにはなるだろうと考えていた。
結論から言えば、期待通りに面白かった。

 

舞台はゲームの中で、主人公はゲーム内のNPC。本来は自我を持たず定められたルーティーンをこなすだけのモブキャラに過ぎない男が、とある出来事をきっかけに人間性を獲得し、飛躍的な成長を遂げる。
世界観はまるでGTAのような、プレイしている人間が犯罪行為によってストレス解消を楽しむコンセプトであり、そこに「生きる」住人はひたすらに蹂躪されることでしか存在価値を見出されない。
そんな中から生まれた特異体は、やがてリアルの世界をも巻き込んでゲームそのものの価値を問う展開を作り出し……とまぁ今風のゲーム観とAIの成長という興味深い要素を盛り込んだ派手なストーリーは、良くも悪くも私に余計な思考をする余地を与えなかった。

テーマ自体は、一般的に決められたレールから外れて自由を掴み取ろう、みたいなところだと思うのだけれど、これは時代性とマッチしている。
特に最近は、平凡な労働力として人生を消費することの是非が問われるような社会や思想が新しく出来上がりつつあるわけで、コロナ禍を経て自分の人生を見つめ直す契機を得た人間も多いはずだ。これまでに当たり前だと思い込んでいた、私の道。それは、はたして本当に幸せへと繋がっているのだろうか。
もちろん現実とゲームを混同してはいけないが、もはや近年の現実はゲームと大差ないところまで急速に変化しつつあるように思う。

 

基本的には楽しく『フリー・ガイ』の世界に浸ることができたのだが、観ていて妙に引っかかる点があった。
本作は一見するとアクションコメディのような雰囲気が主体となっているけれど、シナリオの本質はラブストーリーであるということだ。
主人公はゲーム内の元モブキャラで、彼がいなければ話は動かない。けれど、その仕掛けを作ったのはリアルの人間だし、結果的に映画で描かれる一連の騒動は、ある一人の人間が好きな相手に好意を示すための手の込んだ告白なのだ。

度々、挿入される主人公がヒロインに向ける好意や、キスをしたいという欲求などは、彼自身の素敵な感情であると同時に、それを生み出した人間の隠された意図でもある。
途中までは主人公に感情移入しながら物語を楽しんでいるから、そういった恋愛感情の行く末を受け入れようとも思えるのだが、最後まで観てわからなくなった。結局は人間同士こそ正義ではないか。AIはAIでしかない。
プログラムされたコードが主体的に自由を手にしていったのは確かなことで、それは素晴らしい出来事に違いない。けれど、それすら人間の恋愛を手助けするための道具に過ぎないわけだ。

大筋はシンプルで、最後は理想郷に生きることが許されたハッピーエンドのように見えた作品だった。派手な演出は新鮮で、刺激的で、これを面白くないとは決して言えない。
ただ、恋愛絡みの一点に関しては、ちょっと複雑な心境を抱えながら劇場を後にすることになった。
本当の幸せとは、いったいなんだろう。自由だと思ったその「自由」は、実は別の何かであるかもしれない。

私は本質的に恋愛というものが理解できないし、元よりレールを外れている人間なので、これをストレートに消化することはできそうにない。
ただ、ちょっとばかり違った道に理想を抱きがちな、「普通」というものに寄り添った人生を送っている人にとっては、ハチャメチャに刺さる作品だと思った。