K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

満腹

誘いがなければ特に普段と変わらない日常だったはずの本日は、一時的に帰省して比較的豪華な食事にありつけることとなった。
電車を利用した移動は先月の初めぶりの出来事で、歩行距離もそれなり、相変わらず歩くのは速いものだから、明日には筋肉痛になっていそうなくらいに疲れてしまった。
きらびやかな電飾を横目に、さっさと目的地まで歩く。世の中の人間が今日という日に何を想おうと、私には関係がない。ただ、なんでもない日に外出する羽目になっただけなのだ。

 

誰かと食事をするならともかく、一人で時間を過ごす予定しかないのに、わざわざチキンやケーキを買う精神が私にはよくわからない。
別にバカにしているわけではなく、何を食べようが個人の自由だから好きにしたらいいとは思うけれど、そんなに重要なことなのだろうか。
似たようなことが誕生日にも言えるが、誰かを祝ったり誰かに祝われたりするのであれば、食べ物にこだわるのは理解できる。しかし、たとえば帰りにコンビニでケーキを買って、一人で食すなんていうのは、虚しくならないのだろうか。
食べ物に大して興味がない上に面倒くさがりな私の感覚は、この先も世間の標準に合わせるのは難しそうだ。

今回、用意された食事そのものには期待していなかった。やや語弊を生みそうなので補足すると、「美味しくもなんでもない」という風に思うのではなく、「何が出てきても気にしない」という意味での期待感のなさと言える。
私は食事のために重い腰を上げて足を運んだのではない。ただ、温かい空間を味わうために、せっかくの厚意を無駄にしないために、動いたのだ。
実家に到着した時点で、だからある意味で目的の半分は達せられている。

 

日頃の摂取量が生命維持に必要な最低限となってしまっている関係が、目の前に広がるご馳走の量には、少し圧倒された。
起床したのが14時過ぎで、軽食を摂ってから夕方に家を出たから、まだ完全に胃が空になっていない。全部を食べきれるか、心配になる。
久々のサラダから手を付けて、スープやチキンを口に運ぶ。歯科治療中ということもあって、誰よりも食の進みが遅い。半分ほど腹に収めた段階で、若干の苦しさを覚えた。
黙々と食べ進める。いつ以来が知らないが、半ば忘れていた食事に集中という感覚を思い出した。これは非常に疲れる。日常ではあり得ない。
これは今日だからこそ特別に発生した、莫大なエネルギーを使って莫大なエネルギーを取り入れる作業なのだ。

腹八分目という言葉が「程良さ」を示しているのなら、完食後の私の状態は腹十二分目くらいだったと思う。
これを書いているのは食後しばらく経ってからだが、まだ苦しさが残っているし、明日はきっと体調不良に違いない。
印象的だったのは、食べてから数分後に味わった急激な眠気だった。明らかに血糖値スパイクを起こしている。時間帯と食事量によっては食後に具合が悪くなることは珍しくないけれど、それにしても普段こんなに食べることは絶対にない。かつてないほどの勢いで意識を失いかけた。慣れない食事に、身体がバグってしまったのだ。

これでも、おそらく一般人にとっては標準的な食事の範疇なのだろう。とっくに私は肉体的にも異常者になっている。
それが不健康かどうかは置いておいて、いわゆる健全な状態でないのは確かだろう。なお、改善する見込みはない。

 

外を歩いて、あるいはネット上の雰囲気を眺めてみて、どうやら世界は「そういう」ムードになっているらしい。
睡眠不足かつ食べすぎて絶不調状態なので、今夜は早めに寝ることになると思う。テレビも見ないし配信も見ない。
世の中のことを何もわからないまま、知ろうともせず、何も楽しまず、もしくは羨ましがったり妬んだりすることもなく、無感動に聖夜は過ぎゆく。
ああ、いつしかこれを大切な日だと感じるようになる時は来るのだろうか。