K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

開会式

昨年の夏にも軽く書いたように思うが、私はオリンピックに興味がない。特別なきっかけでもない限り、わざわざ自ら情報を求めようとすることなんてないだろう。
まぁ今の時代、PCを起動させていたら他に楽しめるコンテンツなんて無数にあるわけだから、必ずしも私が逆張りなのではなく、娯楽の多様性という時代の特徴を体現しているだけなのかもしれない。

 

完全に予想外の展開だったのだけれど、こんなことを書いておきながら、実は今日の開会式を見る羽目になってしまった。というより過去形ではなく、まだ各国の入場が続いているわけだが、一応メインの演出は終わったと考えていいだろう。
興味はなかったものの、別にイヤイヤながらというわけでもないから、ただ無心で眺めていただけではある。しかし昨日まで開会日時も把握していない無知であったから、まさか初めから一国民としてイベントに「参加」することになるとは思わず……せっかくなので、簡単に所感を述べてみようと思った次第だ。

印象的な映像や、パフォーマンス、会場に広がるエフェクトの数々は、まだ記憶に新しい東京のものと比較するのに誂え向きで、日本人ながら国力の差を実感せずにはいられなかった。
効率的であり、華やかであり、まさに人々が求めているものが展開される。これを東京で見たかったという人は少なくないだろう。
中国は流石に権力者のパワーが反映されやすい国だけあって、このように世界へと向けたメッセージには莫大な金とエネルギーが費やされていることが、よくわかった。

夏の大会においては、その大半をスルーしていた私ではあったものの、自国の国民的イベントということで開会式の諸々については視界に入ってくることが多かった。
直接、この目で比べた部分は決して多くないから、勘違いしている箇所もあるだろう。隣の芝生は青く見えるもので、第三者的な視点が持てている自信はない。
どうしても事前に発生した数え切れないほどのトラブルや、裏側で行われていたゴタゴタなど後から明らかになったマイナスイメージも相まって、随分と日本に対して悪いバイアスがかかってしまっている。
ただ、それを差し引いても……あまり深く掘り下げるつもりはないが、この国威発揚能力の差は現状の経済状況に比例しているようにしか思えなかったのだ。悲しいね。

 

開会式を目の当たりにすることになった理由について少し書くと、正月ぶりに実家へと帰ってきているからだ。
自宅では一切テレビなんて見ないけれど、実家では基本的に夜の時間はテレビが起動している。
たとえ無関心でも、近距離で映像と音声が流れていたら情報を遮断するのは不可能であり、予定になかったオリンピックの開会式を知ることとなった。

もちろん、家へと戻ったら再び興味を抱くことなんてないから、競技自体を見ることはないと思う。
Twitterなどを通じて誰がメダルを獲ったなど細かい出来事を知ることはあるかもしれないけれど、全体のメダル数とか閉会式の魅力については、きっと春を迎えた頃になって思い出したように調べる可能性があるくらいで、スタンスは半年前と大差ない。

まぁ勝ち負けなんてどうでもいいから、各々が悔いなく力を出して、怪我なく無事に戻ってきたらいいと思っている。