K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

点数付けへの感覚

人は、何かと物事を評価する。
人と人、物と物、事と事、なんでもいい。商品と商品だったり、作品と作品だったり、他の何物かと比べることで、目の前にある事象について価値判断を行うのは、ごく自然なことだ。
ネットが発達して、他人の意見を知りやすくなった。買い物をする時や、あるコンテンツに触れる時、既に内容を体験している人のレビューに目を通せば、より効率的に選択することができるようになる。

 

ふと思ったのだ。
はたして、それは本当に私にとって正しいのだろうか。
何が言いたいかというと、ある対象に向ける評価というものは、本人の主観に依存している部分が大きく、よほど客観的材料に基づいた判断で構築された意見でない限りは、好みの問題に過ぎないのではないだろうか、ということだ。
思想によって解釈が変わる話を、そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

大学へ進学するのは世代の半分程度とはいえ、高校に通わない人間は珍しい。社会に生きている大半の人々は、人生のどこかで点数による評価、判断を強いられた経験があるだろう。
その最も典型的なものは、学校における定期テストだ。校風や教育方針によって頻度に差はあれど、中間試験や期末試験といった催しは極めて普遍的に発生するイベントだから、共感は得やすいと思う。
テストと向き合う度に、必ず直面しなければならなかった点数というものへの捉え方は、その人間の価値観と密接な関わりがあるのではないだろうか。

 

個人的な話をすると、私にとって定期テストとは、若干の時間と労力を割いて乗り越えるゲームのようなもので、より高い点数を獲得できれば快感が増すし、期待よりも下の点数しか取れなければ気分を損ねる厄介な代物だった。
しかも教科の得手不得手によって、かなり振れ幅がある。大して勉強をしなくても、授業中の理解だけで高得点が取れる科目や、努力した分だけ点数に結びつく科目、どれだけ時間をかけても一定以上は運任せになりがちな科目……何度か繰り返していくうちに、自分の中にボーダーが出来上がる。
この点数よりも上なら及第点だし、これを上回ったら嬉しい。逆に下回ると悔しかったり気分が落ち込んだりする。
この基準は、人それぞれで大きく異なるだろう。

小学校のテストは満点付近が当たり前だったから参考にならず、中学の頃は勉強を舐めきっていて試験対策の学習に熱量を注いだ記憶がないから論外として、高校時代はそれなりの真剣さを以て取り組んでいたように思う。
当時の感覚を振り返ると、80点を超えていたら自分の中である程度の納得感を生み出すことができた気がする。もちろん、得意科目や時間を費やした科目については、少なくとも80点台後半以上は欲しいという気持ちがあったけれど、見栄え的にも10の位が8なら許容することができた。
一方で、返却された解答用紙に書かれた数字が79点以下だった場合、激しく反省していた。どうやっても正答できなかったであろう問題はともかく、ちょっとした思考の乱数次第では十分に得点できた可能性の高い設問を発見すると、試験に挑んでいる最中の自らを思い出して戻りたくなった。やり直させてくれ、と強く願ったものだ。
まぁ基本的には90点以上あれば上出来判定で嬉しかったが、得意科目なら90点台でも後半を求める自分がいた。他方で、いつも難易度が高いと感じていた科目なら80点を超えていたら上々という感じだった気もするので、ボーダーは受ける試験ごとに変化していた点は否定できない。
ただ、流石に70点台の前半までいくと、試験内容にかかわらず大きな失望が先行していたから、自分にとっての絶対的な基準はその上に引かれていたのだと思う。

今では試験勉強を頑張ってテストを受けることなんてないから、あまり似たような体験をすることはないけれど、逆の意味で点数との関わりは発生している。
逆というのはつまり、テストにおいては私の回答が評価される側だったけれど、今では一人のユーザーとして物事を評価する側に回っているということだ。
この際の判断基準は、かつて心の中に存在していたボーダーを参照していると考えて差し支えないように思う。

決して悪くはないけれど、特筆して強く褒められる部分もなさそうな対象には、私は80点を付ける。
しかし、そこからの点数増加に対しては非常に厳しく判定が行われることになる。数年に一度、出会えるかどうかといったレベルなら90点を少し超えるくらいで、100点を付けることはまずありえない。
一方で、加点要素以上に不満を感じた場合には80点から減点していく形となるけれど、その場合も下げ幅はかなり慎重だ。
かなり悪いと感じても60点台に留まることが多く、直近数年の記憶に限ると50点台相当の評価を下した対象は存在していないように思う。

 

このあたりの評価基準は、人によって大きく異なるだろう。
わかりやすく50点を基本として、そこからの上下で点数を付ける人もいるだろうし、0点あるいは100点を基準にして、加点要素か減点要素どちらか一方だけで最終的な点数を導き出す人もいるかもしれない。
だから、他者のレビューを見た時に書かれている点数というのは、本来あまり信用ならない可能性があるのだ。
それは私にとって何点なのかではなく、レビューを書いた他人の基準で何点なのかという話に過ぎないのだから。

すべての人に当てはまるかは知らないが、学生時代に赤点が多かった人はボーダーが低めで、高得点が当たり前だった人はボーダーが高め……なんて傾向があるのだろうか。
私は後者なので、どうしても他人が何かに付けた点数を目にすると、厳しいと思ってしまうことが多い。けれど、ひょっとすると当人にとっては辛口のつもりなんてないかもしれないのだから、面白い。
まぁあらかじめ評価するための前提を決めておいて、それに則って点数付けを行わない限りは、平等に公平に物事を受け止めることなんて不可能に近いのだと思った。