K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

季節のせいにするべきではないという戒め

なかなか元気が出ないのは冬だから、寒いから、なのではないかと思っていたのだが、昨年はどうだったかと振り返ってみると、意外とそうでもなかった。
調子の周期はあるから、もちろんずっと好調というわけではないのだけれど、少なくとも今のように寒さで布団から出られないとか、寝起きの時間が毎日のように違うなんてことはなかったらしい。
過去の日記を見てみてもそうだし、記憶にある一年前の自分はもう少し活動的だった。

 

どうして、こうなってしまったのか。
別に、何か致命的な失態を犯したわけではないから、元に戻そうと思えば余裕かもしれないのだが、普通にしていたら過去と同じ水準で物事に向き合うのか難しい可能性がある。
こういう理由で、今は元気が出ない。それさえ判明すれば、いくらでも改善していくことはできるのだから、考えないわけにはいかないだろう。

そもそも具合が悪くなり始めたのは、いつ頃からだったか。こういうのは突然というよりも徐々に変化するものだから、あの日の出来事さえなければ……なんていう風に明確な形では咎めにくい。
ただ、体感の話にはなるけれど、確かに秋までは身体の動きにゆとりがあったように思う。寒くなり始めて活動力が低下するのは、いわば生命の宿命ではあるから、それ自体が大きく間違っているということはないはずだ。
それにしたって、同じく寒い気候が私に大きなデバフ効果をもたらしていた一年前と比べたら、差は歴然としている。寒さ以外に原因を求めるのは、理に適っている。

一つ、仮説を立てた。
単純な話だが、運動不足が悪影響を及ぼしているというものだ。
どれくらいの頻度だったか細かく記憶しているわけではないけれど、よく考えてみると一年前は冬の時季においても定期的な散歩を行っていたような気がする。
私は昨年の春から秋にかけて、週に二、三回の散歩を欠かさなかった。散歩というよりは、激しめのウォーキングといったところで、かなりのハイペースだ。それほど長くない時間であっても、適度な運動にはなっていた。
しかし、秋の半ばに受けたワクチンに対する慎重な考えから、しばらく心臓に負担をかけるような行動を避けていたのだ。安静にしていたら、あっという間に気温は低下していき、動かなかった分の筋肉を失ったことで余計に寒さ耐性が落ち、冬に突入してからは散歩を始めようという気力を出せなくなってしまった。
要するに、不本意ながら運動不足を招いたタイミングと冬の到来が一致してしまったがゆえに、当たり前のように実施していた散歩という習慣が非日常の領域に移ってしまったというわけだ。日に日に体力は低下していき、他のあらゆる事柄に対するエネルギーは出力を控えめにせざるを得なくなった。

それ以外のところで言うと、一人暮らしという自由すぎる生活に悪い意味で適応してしまったことが一つの要因かもしれない。
新生活の始めたてから半年くらいの期間は、ある程度の緊張感があった。考えることが多く、生きていくために何をすればいいか頭を使っていた。
真っ当な食事を心がけようと、キッチンに向かうこともしばしば……それが今では、できる限り手間をかけないように効率化してしまい、日常における「生活」への意識はかなり希薄になったと言っていい。
腰は重くなるばかりで、時間は浮いたはずなのに体力と気力が落ちまくっているから、結果的に活用できるエネルギーは減少している。
上に書いた運動不足との相互作用で、悪循環が構築されてしまったのだ。

 

明日から散歩を再開しよう、などと目標を掲げて実践できるのであれば、苦労なんてしない。こんな記事を書くこともなかっただろう。
こればかりは、もう少し暖かくなるまで我慢するしかないように思う。外気に触れて身体が震えるうちは、運動不足で体力が少ないことを前提に日々の予定を組み立てることが要求される。

慣れについては、慣れていない状態へと戻ることが非現実的であることから、下手に考えすぎる必要などないのではないかと思う。
慣れて手間を省きまくった末に何もできなくなったのが問題なのであって、ここはメリハリが重要だ。
まぁいきなり料理に目覚める、なんてことはないだろうし、早寝早起きが上手くいかないことについては何度も書いてきている通りで、対策案は特にない。
ただ、たまには初心を思い出すように意識すれば、少しずつでも日頃から見えてくる景色は変わっていくのではないだろうか。
……などと根拠のない適当なことを書いて、今日は締めとする。