K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

五冠

四六時中、画面に張り付いていたわけではないけれど、昨日と今日の二日間かけて実施された将棋の王将戦について、毎日新聞社の無料棋譜YouTubeでの評価値放送などを見ながら、ちょこちょこ動向を追っていた。
私は本格的な将棋プレイヤーではないものの、幼少期には親しみのある遊戯として楽しみ、十年ほど前からはプロの対局を放送で見るのが趣味の一つとなっていた。
結果は新王将の圧勝……最年少五冠達成ということで、近いうちに全タイトル独占しそうな予感さえある。

 

このところは時間を割きたい事柄が増えてきた関係で、将棋観戦自体について、実は一時期ほどの熱中感はない。
過去数年のタイトル戦は、終盤を少しだけ観戦するか、結果だけ確認するに留まることも多かった。
ただ、私の興味関心は置いておいて、世間的な話題性という意味では、数年前から現在までの盛り上がりは過去最大級だろう。
一時代を築いた羽生九段から新しいスター棋士の藤井竜王へと棋界の中心が移りゆく昨今、タイトル戦のたびにその強さが際立つ様は、まさに将棋星人と言っても過言ではない。

私が最もハマっていた頃は、タイトル戦があれば朝から夕方まで放送を眺めていたものだった。
今は当時よりも配信環境が充実しているし、AIの進化やソフトの普及によって素人でも状況が掴みやすくなっているけれど、ほとんど何もわからないながらも解説を聞きながら盤上の戦いを楽しむのも、味があって好きだった。
衝撃的な一手で勝ちを手繰り寄せる、いわゆる羽生マジック……不利な状況だったのに、いつの間にか形勢がひっくり返っている……おそらく私も、多くの将棋ファンと同様に羽生さんに魅了された一人だったのだ。

だから、というわけではないかもしれないが、今の状況は「凄い」と思う反面、以前ほど「面白い」と感じることは少なくなった。
個人的な熱中度合いの差もあるから、これは世の中における注目や盛り上がりとは別の話なのだけれど、彼は流石に強すぎるのだ。
トップ棋士たちが太刀打ちできない、歯が立たない、圧倒的な実力差が素人目にもわかってしまう。
三十年前も、ひょっとすると似たような状況だった可能性はある。その頃のことをデータでしか知らないから、ただ一人の強者が君臨する空気感を、ここにきて私は初めて経験しているのかもしれない。

結局、物事は時代とともに変化するものなので、同じコンテンツを心から楽しみ続けるためには、変化そして新しく登場するものを受け入れるしかないのだ。
懐古主義に浸っていては、いずれ自らドロップアウトしてしまう。将棋観戦に限らず、これは何事においても真理のような気がする。
どうしたら再び熱意を取り戻せるのか、自分の中で具体的な案は浮かんでいない。まだ彼が、私にとって常に応援したいと思える存在になっていないからだ。
しかし、ただの視聴者という立場として今後に期待する目標は、非常に明白でもある。まずは六冠、次に七冠、そして八冠……誰も見たことのない領域に足を踏み入れようとする様子を追い続けていたら、きっと私も彼を応援したくなるに違いない。

 

競馬にハマっているので、つい馬に例えたくなってしまう。悪い癖かもしれない。
特定の時代における、圧倒的な突出度を見せた名棋士と名馬……ふとしたイメージなのだが、藤井五冠にはディープインパクトを当てはめると、しっくりくるような気がした。
すると羽生さんはシンボリルドルフあたりだろうか。いずれも世代の頂点に立ち、他の世代を相手にしても遺憾なく実力を発揮し、時が過ぎてからも語り継がれるレジェンドだ。

羽生さんは長年にわたって実績を積み重ねてきた。平成という時代の、将棋界における彼の活躍に文句を言う人間はいない。
そして現在は、新しいレジェンドの誕生に立ち会っている真っ最中なのだ。これから無数に伝説が積み上げられていく。

そう考えたら、藤井聡太という棋士を見る楽しみが少し増したように思う。