K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

寝違え

年に数回しか発生しない珍しい出来事の一つが、今朝方に起こった。
こういう時は、だいたい目が覚める前から違和感があるものだ。枕が心地好くない。寝返りをする度に不快な気分になる。
覚醒後、まだ布団から出るのに躊躇うくらいの段階で、やってしまったと思った。普段、寝相は悪くないほうだが、たまに失敗するのだ。首が痛い。

 

こうなると、もう起きた瞬間から気が滅入る。きっと今日一日はまともに過ごせないだろうと瞬時に認識してしまうくらい、首の痛みは著しく全身のコンディションを落とすものだ。
過去の経験が私に教えてくれる。一度だって、寝違えた日に元気だったことなんてないのだから。不貞腐れて二度寝をしようにも、痛みが気になって長く横になっているのもしんどい。最悪だ。

身体の調子とは対照的に、外は天気が良いようだった。カーテンを開けさえしないから実際のところは不明だけれど、隙間から差し込む光が晴天を伝えてくれる。
寝起きの気分はどん底だけれど、天気も気温も過ごしやすい。寝違えなければ、どれほど素敵な一日を送れる気がしていただろうか。
昔からのことなので慣れっこだが、どうにも世界との相性が悪い。上手く噛み合ってベストな状態でいられる日が、本当に本当に珍しい。

首の痛みを忘れるためには、姿勢を固定しておくのが最適だ。できれば首の重さを支えられる体勢が好ましい。
椅子に座って、背筋を伸ばす。一般的に理想的とされる姿勢を維持することに努める。
しかし、腹筋も背筋も大して付いていないガリガリだから、それはそれは苦労する。数分が経過して他のことに意識が向くと、いつの間にか腰と首を軽く曲げた姿勢へと戻ってしまうのだ。
それでも、寝ている時よりは幾分か首は楽に感じられる。横を向くとひどく痛むものの、上下の動きに限定すれば負荷が少ないらしい。

ほとんど家から出ない生活が普通になってからというもの、起きている時間の大半は椅子の上に座りPCと向き合っている。
昨日だったか、某漫画家の訃報を目にしたけれど、こんな生活を続けていたら、私も遠くないうちに同じような病気で倒れてしまっても不思議ではないだろう。
全国民的にインドアが当たり前となった十年後や二十年後の世界では、ひょっとしたら運動不足に起因する病気が社会問題化しているかもしれない。
平均寿命が伸び続ける予測はあるけれど、現実的には今がピークなのではないかと考えることもできる。

そもそも、私は幼少期からアウトドア派ではなかったから、二年前に新しく生活を一変させたというわけではない。
たとえば小学生の頃から大学時代に至るまで、夏休みや冬休みといった長い余暇は家でゲームなど好きなことをするのが基本であり、外に出る機会は家族旅行を除けば誇張抜きに皆無だったような気がするし、日頃の土日休みにおいても自らの意思で外出という選択をすることはなかった。
数少ない友人との約束が発生したり、どうしても買わなければならないものが出てきたりしない限りは、家から出ようとしない。
毎日、外気を吸わないと息が詰まって生きていけないという人も世の中には存在しているようだが、生き物としての性質が私と真逆すぎて、もはや相互理解は不可能だろう。

 

さてはて、話が脱線しすぎたが……寝違えて困る程度で言えば、私は大したことがないのだと思う。
外出の予定があって、朝から晩まで外を駆け回らなければならない人だって社会のどこかには生きているわけで、そういう人が首に不具合を抱えて一日を過ごすのは、凄まじいストレスを感じることだろう。
それと比べたら、モニターの前で、ただじっと安静にしていれば苦痛を抑えられる私は、気楽なものだ。
それとこれとは話が別なのだ、と思わないでもないけれど、私ではない他の誰かの立場を自らに当てはめて考えてみると、随分と痛みによる苛立ちが軽減されるような気がする。

明日には治っているといいが……運が悪いと二、三日は引きずってしまうから、今夜の眠りが素晴らしいものになるように心から願いたい。
体調さえ万全なら、今週は新しい取り組みを始められそうなのだから。