K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

連休の予定

世間における祝日が必ずしも私の日常に影響を及ぼすとは限らないのだけれど、合わせておいたほうが都合がよい場合もある。
というわけで、一週間のうち数日は、ぼちぼち用事で埋まることとなった。
それ以外の日に関しては、日頃と変わりなく自宅で時計を無視した生活になるのだろうが、珍しい外出の機会はきっと気分転換になることだろう。

 

連休中、イベントの発生で気がかりなのは、私の身体がスケジュールに適応できるかどうかだ。もともと外的要因によって行動に制限が生じることがほとんどないだけあって、急に他者の存在を気にしながら時間を過ごすのは、心身両方に対してストレスになるのではないか。
まぁ他者と言っても家族だから、赤の他人である「友人」との約束とは違って幾分か気楽なものではあるが、それでも社会性をほとんど完全に喪失した今の私にとって不安は拭えない。

この日記をどうしようかという、別の悩みも発生する。
どこにも行かず、家で変わり映えのない日常を過ごすだけなら、いつものように他愛ない戯れ言を捻出するだけなのだけれど、いざ新しい刺激を大量に受けてしまうと、却って苦労が増える気がするのだ。
書きたいことがたくさんあるのに、疲れて文章にまとめることができない……なんていう姿は容易に思い浮かぶし、状況によっては慣れきったタスクとして消化するには手に余るかもしれない。

 

そうそう、ゴールデンウィークは毎年、何かしらの新しい挑戦を企画していたのだった。
ちょうど二年前には、毎日こうして日記を書く習慣を開始した。昨年は……なんだったか、あまり記憶にないけれど、一応は「なんでもない一週間」では終わらないように工夫したような気がする。
日記を書くという目標は幸いなことに三日坊主で終わらず、現在まで続いている。ただ、いつも上手くいくとは限らないし、今年は企画の候補すらまったく頭に浮かんでいない現状があるから、大して期待できないかもしれない。

昨年、日記に関しては一年間のまとめとして、平均字数などを算出した記事を書いたように思う。
今年もゴールデンウィークの終わり際にやるつもりだが、正直に言うと最近はマンネリ化してきて以前のようにバラエティ豊かな内容が減っていて、似たような記事ばかりになっているから、面白味は減るだろう。
毎日毎日、新しくネタを考えるのは想像以上に脳のエネルギーを使うのだ。競馬の予想や回顧、某ゲームのイベント記事など、一定数はテンプレートに当てはめていかないと、ここまで続けることはできなかったはずだ。

大変なら、書きたい時だけ書けばいいという話もあるが、日課を任意のタイミングに変更してしまったら、きっと書く気が起きなくなる。
そもそもの目的が作文能力の維持であり、また他方で、著しくコミュニケーション機会の少ない私にとって自己対話の場となっている側面がある。これには、思考力や脳そのものの退化を抑制しているような感覚があり、止めてしまったら何もできない廃人に一直線なのではないかという懸念もあるのだ。

というわけで、なんだかんだ日記は続けていくけれど、何かしらの新しい刺激を日々に取り入れていくためのきっかけを作りたいというのが、連休中の抱負となる。