K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

表情筋

もともと昔から人前ではポーカーフェイス気味というか、よほど条件が揃わなければ感情を表に出すことはなかったのだけれど、ここ数年は特に対人コミュニケーションの機会激減ということで、以前にも増して表情を動かすことがなくなっている。
日常のほとんどは愛想のない無表情……これは幸福度という観点からも不健康だとは思うのだが、チャンスがないのだから仕方ないと半ば諦めている。

 

そんな私にも、表情筋を使う場面が訪れることはある。
先週の土曜日には一年以上ぶりの友人と楽しく話すことはできたものの、基本的に普段の生活において他人と会話することはない。
声帯と同様に、すっかり頬の筋肉が衰えている自覚はあるのだが、それでも発声よりは笑顔の頻度のほうが多いとは思う。
というのも、何も表情は対人イベントでのみ発生するものではないからだ。たとえば、アニメや漫画や映画などの作品を楽しむ最中に、それが琴線に触れる内容であれば感情の揺らぎに応じて顔の形も変化する。
動画や配信を見ていて、面白いと感じれば気づかぬうちに、無意識に口角が上がることはある。

このところ毎日、某配信にて興味のあるコンテンツに触れられていて、それが純粋に楽しいのだ。
誰かと会話するわけでもない、自ら声を発するわけでもない、それでも面白いから笑顔になるし、頬の筋肉を使わされる。
久しく忘れていた、顔の筋肉が痛く感覚が妙に心地好かった。

 

今のところ、そのシリーズ配信は少なくとも月末までは続く見込みだから、しばらくは退屈しない日々が待っている。
私はVに興味がないので、配信者について語るのは珍しいことかもしれないし、実際これ以上に掘り下げて日記を書くつもりはない。
よくある特定の配信者に対する盲信的なアレコレという感じではなくて、これは単純に自分の興味と配信内容がマッチしているというか、なんというか。
だからこそ、ふと思うのはやはり、目に悪い色のチャットを送ることに快感を覚えてしまっている連中の存在だ。他人の趣味に口を出すつもりはないが、彼らの行動が一部の界隈で受け入れられ、その「常識」が外側の世界に広がりつつある時、世の中の構造がどう変化するのか……新しい流れと既存のシステムはどちらも歪みを内包していると思うが、先にヒビが入り崩壊に向かうのはどちらになるのか、興味深く見守っていきたい。

私なんかは気になる配信を眺めているだけで満足できる身体になっているから、YouTubeコンテンツとの距離感の作り方は健全だと思っているし、それが今後の目まぐるしく変動する世界で、なるべくネガティブな影響を受けにくく長生きするための道だとも考えている。
非常にシンプルではあるのだ。コスパも最強だし、ここは極力、変えていきたくない。

一方で、大金を使う彼らが実際に余裕のある金持ちなのかどうか知る由もないけれど、いったいどんな表情で画面の奥にいる配信者に向き合っているのか、こればかりはいくら想像しても、すっきり腑に落ちるような上手い答えが出てこない。
存在を否定するわけではないが……なんだか哀れに思わないこともないというのは、また事実ではある。