K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

外にいたら変わりもする

太陽の光を浴びない生活を続けていたから、私の表皮は白に近い色をしている。正確には「していた」かもしれないが。
ここ数日、日中に外で活動しているため、当然ながら日差しの影響を受けていて、少し色が変わったような感じがする。どうせ家に帰ったら、他人と会うこともないし太陽光とは縁遠い生活リズムに戻るのだから、日焼けしたところで何がどうという話ではないのだけれど、鏡を見た時の印象が違うから驚くのだ。ああ、こんなに焼けたのだな、と。

 

外気温によって半袖と長袖を着たり脱いだりしているから、腕を見ると妙にグラデーションのような色合いになってしまっている。
肩から肘までは相変わらず病的に白い肌なのだが、そこから手首までは普通といった具合、そして手の甲が明らかに日焼けした赤みを帯びている。
薄い茶色というか、褐色というか……個人差があるから、人によってはこの程度が標準ということもあるだろう。
しかし、不健康そうな外見が常であった私にとっては、明らかに何かがあったとわかる変化なのだ。

顔も同様で、こちらは覆い隠すことなどできないから、日焼け度合いは手の甲と等しい。
肌が荒れるほど焼けているわけではなく、うっすらと肌色が濃くなった感じで、まぁ見方を変えれば健康的と言えないこともない。
白い自分の肌に慣れすぎているせいで、ただ違和感が大きいだけなのだ。
皮膚が入れ替わる速度は、どれくらいだったろうか。また例の生活に戻ってから、何週間すれば元の白に印象がリセットされるのか。

誰とも会わないから、指摘される機会はないだろう。これは自分がどう感じるかの問題でしかない。
些細な要素ひとつの変化で、こんなにも非日常を感じることができるのだ。良い意味でも悪い意味でも、たとえば髪色を染めたり、化粧をしたりするだけで、まるで別人になったかのような錯覚に陥ることに、今の私なら疑問を抱かない。

 

そういえば、とある活動中に右手を酷使するタイミングがあった。力仕事ができない貧弱な身体なので、しばらく経つと手首の周りが痛むようになる。腱鞘炎のような感覚だ。
こういう時に良かったと思えるのが、左手で箸を使えるようになったことだ。他人からしたら何をやっているのだと呆れられるかもしれないけれど、私は真面目に左手の技量を磨いていた。
もっとも、当初の目的は右手が使えなくなった際に困らないようにするためではなく、繊細かつ使用機会の多い右手の負担を減らすためだった。
以前、仕事柄どうしても右手首に過剰な働きを強いてしまい、それ以来ちょっとしたことで腱鞘炎めいた痛みが生じる羽目になってしまったのだ。一度、手首のバランスが崩れると痛みが治まるまで数日の安静を要するので、せめて日常的な負荷くらい左手に回してもいいだろうという判断だった。

左手のほうが握力が高く、耐久値がある。
今回、残念ながら右手首が壊れてしまったから、当分は作業の大半を左手に任せることになると思うけれど、普段から食事時に使っているおかげで、おそらく一般的な右利きの人間よりは器用に過ごせるだろう。