K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

古びたバッテリー

似たような日記は何度か書いているようにも思うけれど、現象としてかなり顕著な形で表れたので、あらためて記録しておこう。
原因はいくつか考えられる。単純に加齢の影響なのか、それとも引きこもりによる体力低下の副作用なのか、あるいは食事の少なさに身体が危機意識を抱いているのか。
いずれにせよ、このままでは今後の生活に支障が出かねないから、何かしらの対策を用意する必要があるだろう。

 

言語化してわかりやすく説明するのが難しいタイプの問題なのだが、端的に言うならこれはエネルギー切れ、ガス欠、といった表現が近い。「頭の」や「脳の」といった言葉を付け足したほうが、より正確ではあるが、とにかく自分の想定を超える勢いで、意識を保っているのが困難になるのだ。
同様の感覚は、かつての「健全」であった時代にも日常的に経験はあった。ただ、その状態に至るまでのプロセスが、以前とは比較にならないほど短くなってしまっていることが、今回の悩みと言ってもいい。

学校や会社から帰ってくる。
朝から活動してきたのだから、当然のことながら身体には一日分の疲労が蓄積されており、夕方から夜にかけて徐々に目蓋が重くなってきても不思議ではない。夕食を摂り、適度に血糖値が上がったところで意識が持っていかれそうになることも、日によっては普通の現象なのだ。
そういう、一日の活動を経て著しくパフォーマンスが低下した状態というのは、身体が一刻も早く休眠を求めるサインを発していることが、なんとなく自覚できる。
思考がまとまりにくい。視界がうっすらと曖昧になるような、気持ち悪さと心地好さが混ざった混沌にいるかのような独特の感覚だ。脳の中で「疲労」という抽象的な負荷が生じて、それが全身に重りとしてのしかかる……言ってしまえば、寝起きのフレッシュな状態と比べると大きなハンデ背負っているようなものだろう。
かつて、それは一日を頑張ってきた証だった。活動の印を全身に刻みながら、布団に入り疲労に身体を委ねる。一日の終了を惜しみつつも、それは私に満足感も与えてくれるものだった。

今や、それが数時間で発生するようになった。
困るのだ。半日以上の活動に伴い生じるのなら納得できるのに、散歩の日を除けばせいぜい数十歩程度しか動いていないにもかかわらず、一日の後半の行動を大幅に制限されては、頭に思い浮かべていた作業を効率的に予定通りに実施することができなくなる。
この日記だってその一つで、夜のうちに書く気力を捻出できないから、仕方なく翌朝の起床後に書かざるを得なくなっている。
身体はそれほど疲れていないはずなのに、起床してから半日にも満たないうちに、私の意識は強烈なデバフを受けた感覚に陥る。脳が休息を欲しているのが理解できてしまう。まだ眠るわけにはいかないのに、身体を横たえざるを得ない。
かくして、昨晩の私は日課も食事もキャンセルして気絶するように就寝する羽目になった。

 

流石に毎日というわけではないが、ここのところ週に何度か、この困った「病気」を経験している。
主観による比較でしかないが、明らかに以前よりも、たとえば半年前や一年前と比べても、ダメになるまでの時間が短くなっているように思えてならないのだ。
電子機器のバッテリーに似ている。0%になるまでの時間は、機器の使用頻度や作業内容、そして経年劣化の具合で決まる。同じように使っていても、少しずつ持続時間が短くなっていくから、いずれはバッテリーを交換するか、本体ごと新しいものに買い換えるしかない。
さて、しかしながら私は交換のできない人間だ。ポンコツになったバッテリーを復活させる方法など存在するのだろうか。

今はちょうど寝起きなので、まさに実感しているところではあるが、回復したコンディションは一日のうちで最もパフォーマンスが高い。
寝る前と起きてからで、電池切れ状態とフル充電状態とを、これほどまでに明確な形で知ることになろうとは思わなかった。
この元気一杯の状態が夜まで、せめて夕方まで続けば私は不満に感じることなんてないのだけれど、最近の傾向から言えば、おそらく正午を過ぎたころには既に半分以下まで減少していることだろう。
適度な昼寝を挟むことに成功すれば、もう少し一日の後半までエネルギーを残しておけるような気はするが、昼の時点で消耗が大きいせいで、眠りに入るとそのまま夜までワープしてしまうリスクがある。
普通に生きるのって、なんて難しいのだろう。