K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

時間の使い方が下手

一日が短すぎることに気づいた。
厳密に言うと、そんな事実は昔から認識していたことなのだが、日常において自覚的になれるかどうかは時々の生活習慣に依存する。
可処分時間は人それぞれなので、別に一般的な感覚については興味ないのだけれど、同じ人間である以前の自分と比べてみると明らかに時間が足りていないことが浮き彫りになってきたので、日記で取り上げることにした。
まぁ本当は、ネタがなくて他に書くことがなかったわけだが。

 

いわゆる規則正しい生活というのは、実のところ何かと効率が良いという説が自分の中で生まれている。
朝に起きて、しっかり食事を摂り、昼まで一定の活動に取り組んだのち、昼食の休憩を挟む。そこから午後に、暗くなるまで再び特定の行為に時間と体力を注ぎ、ある程度の達成感あるいは翌日への期待や不安などを抱きながら三度目の食事を経て、徐々に就寝へと気持ちを切り替えていく。
毎日、何時に何をするかという大まかな流れが決まっていて、行動の振れ幅が少なくなるという性質を孕むことになるが……融通が利きづらくなるかもしれない反面、必ずしもデメリットばかりではなく、現実的な時間感覚を喪失せずに生きていきやすい。
朝から夜まで一連の決まった流れを過ごしていくということは、すなわちデイリーミッションを消化していく感覚に近いのかもしれない。そうでない場合と比べたら一日に充実感を得やすいだろうし、一分一秒を確かに生きているという気持ちになりやすいのだ。

今の私は、それとは真逆と言っていい生活をしている。昨日と同じ行動を取ることはないし、明日の自分が何をするのか明確には決まっていない。
その日の気分と体調で出たとこ勝負なので、元気に溢れる寝起きに成功すれば満足のいく一日を過ごせる確率が上がるし、そうでなければ何をしたか思い出せないくらいに一日という貴重な時間を浪費することになる。
半日ずっと寝続けてしまう日もあれば、長く起きているにもかかわらず何も手につかずモニターの前で呆けていることも珍しくない。起きてから今まで何をやっていたのか振り返れないうちに、気づけば次の就寝がやってくる。
同じ時間を過ごしているはずなのに、ちょっとした生活リズムの狂いによって、体感速度は恐ろしく乖離することになるのだ。
良い日と悪い日が半々くらいなのであれば構わないのだが、今のところ工夫しなければ基本的に後者の出目を引くことが多いので困ってしまう。
しかし、このように意味もなく時間を貪ることは、たとえば小学生の夏休みの頃など随分と幼い頃から日常の一部であったから、今さら何を改善できるわけでもない気がする。
奮起して計画的な生活を意識したところで、どこかで無理が生じて元に戻る。せいぜい一か月くらい続けば上々といったところだ。

 

どうあがいても一日は36時間にはならないし、24時間という短さを受け入れて、上手く配分することでしかこの悩みが解決することはない。
わかってはいるけれど、簡単ではない。
特に意識せずに最高効率で生きていける人も世の中にはいるのだろうが、真似できるとは思わない。
私は比較的器用なほうだから、たいていの人間が若干の苦労を伴う程度の事柄なら、それほど苦労なく平然とこなせることが多い。けれど、生活における効率的な自己管理においては、無理を伴わないという意味ではギリギリ一人で生きていける最低限のパフォーマンスでしか実践できないのだ。

昼型生活に身体が向かない以上、この性質とは死ぬまで一生の付き合いになりそうだし、わりと余裕のある今のうちに上手い付き合い方を模索しておく必要はあるだろう。
生命不適合者なりに、まだまだ生きるコツを見出だせる余地は残っている。