K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

客としての選択

「他人に迷惑をかけるな」という教育は、人間が人間として生きるための大前提というくらいに重要なのではないかと思っているのだけれど、実のところ世の中にはそういう「常識」が通用しない、知性や教養に乏しい害獣が犇めいている……のかもしれない。
私が生まれ育った環境や、出会ってきた人々は、そういう意味では非常に恵まれていたという可能性を感じている。

 

今年最初の、多くの国民が参加している感の漂う一大ニュースが私の目にも入ってきた。
某チェーン店における迷惑行為……という言葉に留めておくにはあまりにも胸糞悪い、強烈な犯罪アピール動画が拡散されている。
一般消費者の立場からすると、店によらず外食という行為自体を控えたくなるくらいに気分の悪いものであり、これだけ広まった以上は社会的な影響力も凄まじく、株価はイレギュラーに動くし、特定された犯人への叩き文句はネット上に溢れ返るし、なんだか過去にも見たことのある構図が出来上がりつつある。
昔から似たような事象は発生していたという意見もあり、まぁそれはそれで事実なのだろうけれど、こういう風に大きく注目を集めて問題視されるのは、精神年齢が未熟なうちから誰もがSNSにアクセスできるようになった時代の弊害と言えるだろう。
何年かに一度、定期的にこの手の迷惑行為が話題になるから、個人的には「またか」という気持ちが強い。

原因を考えていくと、やった本人は当然として、親の躾が悪いというところに行きつくだろう。
自らの行為が他人に及ぼす影響とか、逆の立場になって被害を受ける場面などを想像できないのだ。配慮と想像力の欠如は、シンプルに育ちが悪いということを詳らかに説明してくれる。
ただ、その場で面白ければいい。気持ちよくなれればいい。後のことは知らない。
そんな好き勝手が許されるのは、せいぜい小学校に入る前の幼い子供までであって、社会性を身につける過程で一般的な善悪の判断力は備わるはずなのだ。
しかし残念ながら、多くの人間が生きるこの世の中には、そうではない連中が平然と棲息しているらしい。
今はSNSがあるから明るみに出やすいけれど、事件にならない事件はどの時代にも生じていたのだろうし、誰だって運が悪ければ鉢合わせてしまう可能性がある。

 

結局、なるべくリスクを避けるなら安い店には行かず、客層の民度が高くなる店を選ぶべきなのだろう。
高い代金を支払えるということは、必然的に一般常識を弁えている確率が高い。一方で誰でも入れる安い店は、まともに子を躾けられない親や、そんな親から生み落とされたバケモノが出現するわけだ。
今回の件を受けて、ネット上では親子へのバッシング傾向が見て取れるが、本質的には身の丈に合う選択をすればいいだけなのではないかと思う。
行為が悪辣であるがゆえに、過剰なくらい叩かれることに違和感はないし、これは彼らの自業自得なのだから仕方ない。そういう見方をする私もいるが……そんなのことに無駄なエネルギーを費やすくらいなら、世の中には救いようのないバカが思っているよりもたくさんいる、という認識の強化に努めるべきだと考える。
中級階層以上の空気に慣れてしまうと失念しがちだけれど、割合的には下層の人間が多いのだから。

ちなみに、私は高い店にも安い店にも、何度も行ったことがあるけれど、最も重要なのは店の空気感に対する好みだと感じているため、高い店が絶対的な正義であり、安い店は何もかも悪い、という思想は特に持っていない。
値段なりにサービス自体の質に差はあれど、食後の満足度で言えば値段ほどの差を感じないものだ。