K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

行動力に対する懸念

基本的には腰が重いというか、何か行動を起こすためには数日ないし数週間、そして気持ちの整理といったシチュエーションが満たされない限りは動くことができない私だけれど、たまに別人のごとく積極的に行動する日がある。
異様に、その思いついた選択肢を実現したくてたまらない……モチベーションの塊になるようなタイミングがあるのだ。

 

別に、明確なきっかけがあるというわけではい。ただ、たまたま調子のいい日というのは誰にだってあるだろう。
冷静になって考えてみると、その行動が必ずしもベストであるとは限らないし、実際あまり検討を重ねていないわけだから期待しているほどの成果が得られない、なんてことも珍しくない。
一刻を争うような、なるべく早いほうが好ましい行動であれば悪くないのだけれど、どうにも裏目に出てしまった思い出のほうが多いような気がしてならない。

これは要するに、謎のエネルギーによって突き動かされてしまうリスクに対する、教訓のようなものだ。
慎重になりすぎて何もしない、何もできないというのは意味がない。けれど、後先を考えずに飛び込むばかりでは損失が膨らむだけという、シンプルに当たり前の話になる。
どうにも消極的な姿勢が基本の私においては、自身でも驚くような積極性を見せる場面がとりわけ印象的に記憶されるがゆえに、その失敗のイメージが強く頭に残ってしまっているのだろう。

実際のところ、功罪が分かれるのは行動次第ではある。
たとえば何か映画やアニメなどの、普段なら気軽に手を出しにくい高カロリーな作品世界に没入するためには、そうした非日常的な勢いを頼りにしたほうがいい。
時間と体力は失われるにせよ、作品の質が確かであれば後悔することはないはずだ。心地よい疲労感とともに、貴重な余韻に浸ることができるわけだから、適当に理由を付けて後回しにしがちな日頃の私からすれば願ってもない契機となる。
しかしながら、金を使う必要があるとか、その他にも決して価値が低いとは言えない資産を消費する行動というのが、いくらでもある。考えなしに勢いだけで突き進んでしまえば、きっと事後に思い詰めることになるだろう。
検討に検討を重ねた決断であれば、もし上手くいかなかったとしても自分の中で消化することはできるだろう。そうでなかった時の悔いというのは、毒のように精神を蝕みかねない。

 

別に、直近で何か重大なミスを犯したというわけではない。取り返しのつかない事態に陥っているわけでもない。
ただ単に、どうなるかわからない未来を見据えるにあたって、致命的な状態に苦しまないために、ふと過去を振り返ってみて戒めようと思っただけだ。
きっと、世間一般からすればネガティブであることが私の常だから、逆に言えば調子のいい時というのは、十全に警戒しなければならない。
なんだか気分がいい。やれる気がする。すぐ目の前にある落とし穴に気づかない私の姿なんて、あまりにも滑稽ではないか。
だから、なるべく可能性自体を排除したい。

いくら考えたところで、災難に巻き込まれる道はいくらでも用意されている。他者の意思や行動は制限できないのだから、どこから石が飛んできても驚きはしない。
だからこそ、外側からのイレギュラーには、せめて狼狽しないように対策しておくべきだし、ちょっとした気分の変化に誘発されて、迂闊な行動に出るべきではないのだ。
最悪、他人に殺されるのは仕方ないが、自ら踏み外して崩れていくことだけは、なんとしても避けなければならない。