K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

今さらのRED

あまり興味はなかったのだけれど、ちょっとした機会があったので『ONE PIECE FILM RED』をアマプラで観た。
ワンピ自体、随分と前に夕方のアニメ枠で放送されていたものを見ていた程度で、原作は直近10年分ほど未読、特に好きな作品というわけでもないから、どういう心持ちで向き合えばいいのか難しいところがあったのだが……なぜ昨年あれほど大ヒットしたのかは、よく理解できなかった。

 

結論から言うと、60点くらいだったように思う。
はたして本作がワンピース好きに刺さったのかは定かではないし、没入感のある完成度の高い作り込まれた「映画」を求めている人の期待に応えられるとは思わないものの、アーティストAdoのファンや、ミュージカルチックな映像作品が好みという人は満足することだろう。
個人的には、視聴体験が面白味に満ちていたわけではないのだけれど、普通の映画にはない魅力を見出すことができなくはなかったという点において、低評価を下すほど悪くはないと感じた。
一方で、肌に合う合わないという尺度を用いるなら、これは決して手放しで褒め称えることはできないとも感じている。
どちらかと言えば、ちゃんとした「映画」を欲していたところがあるため、ほとんどを凝った歌唱表現に終始していた本作は、見方によっては退屈であったと言わざるを得ないだろう。
まだ、この題材とシナリオを、あえて『ONE PIECE』という作品に絡めて描く必要があったのかという点には、非常に大きな疑問が残る。

登場人物の関係性に疎いもので、正直なところ何をしているのかわからないシーンも多々あった。まぁ知らない私が悪いのであって、これは作品を否定する理由にはならないのだが……そうなると、注目することになる箇所が物語の大筋と、おそらく見どころとして設定しリソースを投じたと思われる後半の戦闘シーンになるわけけれど、前者は特筆するほどの捻りはない既視感あるものだったし、後者は退屈しのぎ程度にしかならなかった。
質の高い派手な演出や作画というのは、たとえ他の要素に関心が持てなくても惹かれることが珍しくないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
その特別なシーンにおける感動は、キャラクターの魅力や物語の展開に相当な部分を担保されているようなのだ。技術的な巧拙に限っては価値を感じ取ることができても、作品そのものや見せ場に到達するまでの過程を前向きに咀嚼していなければ、上質なカタルシスには至らない。

アマプラで半ば無料だからこそ、そこそこ悪くない時間だったと思うことができた。
料金を支払って手間暇をかけて劇場に足を運んで観たとしたら、もう少しネガティブな感想が増えてしまった可能性はある。
もしくは、大きなスクリーンで存分に動く映像と、全身を包み込むような歌声や音響に、自宅の環境では味わうことのできない感動を覚えたかもしれない。
そういうわけで、付加要素の未知なるポテンシャルと、映画作品として面白いとは言いがたい脚本の減点要素を天秤にかけて、私にとっては込み込み60点くらいが妥当だろうという判断になった次第だ。
暇潰しにはちょうどよかった。

 

売れているものが必ずしも面白いとは限らない。
映画やアニメ、ゲームなどなど、対価を支払って体験する娯楽の大半に言えることではあるが、本当に不思議な現象だ。
自分の感性が大衆からズレている、狂っている……それは否定できないけれど、ともかく内容は二の次で、話題になっているからこそ、ヒットしているからこそ、より一層の流行が生じるという構図が人間社会にはある。
皆が熱中しているから、私もハマらなければ……なんて、自分が心から楽しめるかどうかよりも、周囲と話を合わせるために、空気を読むために、自身を大衆の一員に改造してしまう。

たとえば、そういう風に振る舞えない社会不適合者が、こうして意味不明な主張を繰り返したり、そこに自己顕示欲が加わるとTwitterで捻くれた文句を垂れ流すのだろうが、どちらが正解ということもないのだから各々の好き勝手にすればいい。
私は流行を気にしないことが多いため、昨年には本作に見向きもしなかったし、遅ればせながら視聴を終えても「面白かった」の一言も呟くことができないのだ。

リアルでもネットでもなんでもいいのだが、他人を見ていると気づいてしまう。
私と同類なのか、本質的に気が合わないタイプなのか……なかなか、話の合いそうな人間に出会うのは難しいということだけは、確かに言える事実だろう。