K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

快適と不快の狭間

日中は真夏と大差ないくらい室温が上昇するこの感じは、まさにゴールデンウィークなのだろう。ひょっとしたら昨年も一昨日も似たようなことを書いていたかもしれないが、とにかく今日は明確な暑さを体感した。
ギリギリ30℃には届かなかったものの、実際のところ、真夏は冷房による室温管理の恩恵を受けているため、暑苦しさで言えば夏以上のものがあったかもしれない。

 

水分補給さえ怠らなければ、いくら暑くなっても我慢できる……とは思っているのだが、もともと私は水分摂取する頻度が少ないこともあって、急激な気温上昇に行動が追いつかないところがある。
口の中は渇いているというのに、なかなか飲み物を取りに冷蔵庫の前に移動しないのだ。身体は水分を欲している。それは確かなのだが、気持ちの面では特に求めていないというか、要するに心身の感覚が不一致になってしまっているという感じだろうか。
これは空腹と食欲の関係にも言えることで、どうにも私は強く意識しないと、自身の健康状態を維持することが困難になるらしい。
いつから生物的な本能が欠落してしまったのか知らないけれど、年々その感覚が鈍くなっているように思う。
そういうわけで、おそらく今年の夏は例年以上に、熱中症に気をつけなければならない。

昼から夜にかけて睡眠を取り、夜から昼までを主な活動とする狂った体内時計で生きているため、アクティブな時間帯に涼しくて過ごしやすい気候なのは助かっている。
まだ、一応は春の範疇ということで熱帯夜に悩まされることはなく、太陽が沈めばちょうどいい具合に気温が落ち着くのだ。
ただ、もう既に私が好きな春の気候は通り過ぎてしまっているから、夏は目の前と言っていいだろう。
近々、最高気温が30℃を超える日が到来するに違いない。

問題なのは、現時点でも昼間の時間帯になると、快適という言葉からは逸脱した環境になってしまう点にある。
風通しの良い住居であれば、窓を開けていたら解決する話ではあるのだけれど、諸々の事情により、窓を全開とか長時間の開放とか、そうした臨機応変な対処が難しくなっている。
壁が薄いため、室内の温度は外気温の影響を受けやすい。この季節だと、太陽が照っている間は一層、気温が上がりやすく、さらに換気不十分な部屋で延々とPCを稼働させているせいで、排熱による熱気が凄まじいことになるわけだ。
私のように痩せていて暑さに耐性のある人間でなければ、とっくに限界を迎えていることだろう。

 

電気の市場価格を確認した。
先日の日記で書いたように、現在の契約は不服ながらも連動型となってしまっているため、節約に努めるには日々の使用量だけでなく、時間ごとの料金を計算する必要がある。
幸い、今週は日中が安く、夜が高めというパターンなので、夜に活動の多い私としては嬉しくはないのだけれど、昼間の暑い時間帯にエアコンを躊躇わずに済むという側面もある。
今日は午後に入ってから就寝するまでの数時間、仕方なく冷房を動かすことにした。

設定温度が高めの上に、部屋に熱源があるため、期待しているほど快適な気温まで下がるということはなかったが、息苦しさを覚えるような状況からは脱することができたように思う。
ただ、眠るとなれば話は別で、電気代の件もそうだし、喉が痛くならないようにしたいという意識が働いて、冷房を停止させるしかなかった。
冬場の暖房にも当てはまることで、エアコンというのは止めた瞬間から効果が切れる。これも節約のためなのだが、風量自動運転にしているから、稼働中に維持している気温は基本的に必要最低限なのだ。
空気全体を冷気や暖気で支配しているというよりは、部分的に生存可能領域を作り出しているというイメージで……すなわち、止まった瞬間からハビタブルゾーンは消失する。

昼寝、と言うべきなのか定かではないけれど、今日の眠りは非常に不愉快なものだった。
暑くて、あまり休息できた気がしない。とても気怠くて起き上がるのに難儀したし、横になれば今にも再び眠ってしまいそうだ。
もしかしたら、一般的な熱帯夜よりも厳しい暑さに悩まされる睡眠だったかもしれない。
どうせ真夏になったら電気代を諦めて冷房に頼るしかなくなるタイミングに直面するわけだし、わりと安い今の時季にこそ存分に使うべきなのではないかと、やや思い始めている。

普通に生きるためのコストが上がり続ける昨今、もはや以前のように余計なことを考慮せず、快適さだけを追求することは不可能なのだろうか。