K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240117)

高い集中力を発揮できるというのは好ましいことである一方、私の場合は集中しすぎてしまう点を問題に感じている。要するに、目の前の作業を除いた、他のあらゆる物事の優先度が極限まで下がるのだ。次に周囲へと注意を払えるようになるタイミングは、その作業が成功にしろ失敗にしろ一定の区切りを伴って終了した時か、他者の干渉によって強制的に中断させられるか、あるいは肉体的に限界を迎えて我に返るか……いずれにしろ「ちょうどいい」具合で止めることは難しい。
もともと体力が少ないせいで、そうした過集中の状況になるケースは決して多いわけではない。基本的には怠惰だし、ある程度の器用さを持ち合わせているため、たいていの事柄は中途半端なスタンスでもこなせてしまう。しかし、珍しく元気のある日にいざ頑張って集中しようとすると、反動は想定外の凄まじいものとなる。意図せず無理をしすぎてしまうため、その後の数日は使いものにならなくなるのだ。
副作用の具体例を挙げると、ありがちな話だが時間を忘れる。平時なら失念することのないはずの馴染んだ習慣すら、すっかり頭の中から抜け落ちる。たとえば何時に何をしようと事前に計画していても、ひとたび発揮された集中力の前には意味を為さないのだ。トイレに行くのも忘れる。身体への注意力が低下するため、そもそも尿意に気づいていないことが多いのだが、作業が一段落した時点で膀胱が破裂しそうになっていることを初めて認識するようになる。もしくは、エコノミー症候群のように脚の先に血が溜まっているような感覚に気づくのも集中力から解放されたタイミングなので、私にとって集中というのは間違いなく不健康に向かう状態に他ならない。
すべてが終わった後、全身が悲鳴を上げていることを知る。やりきった感のようなものが余韻として残るため、取り立てて後味が悪いわけではないものの、明らかに寿命が縮んだようにも感じてしまうため自分の中でも賛否が分かれるところだ。当然、集中しなければ実現しない成果というのはあって、長い人生では過集中が求められる場面も出てくるだろう。ただ、ここまで生きてきて集中の程度を上手くコントロールする術を身につけられていないのは、かなり損失が大きいように思えてならない。意識的に制御するためのコツのようなものは、はたして存在しているのだろうか。