K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

シャワー派

風呂には滅多に入らないなんて言ってしまうと誤解されそうなのだけれど、実際あまり入らないからなんて表現すればよいのだろう。シャワーで済ませてしまう。
昔からの習慣は変わらないもので、湯船に浸かる頻度というのは、だいたい月に一度か二度。冬は寒いせいで少し増えるものの、暑い時季はわざわざ沸かすことなんてほとんどないから、だいたい年間で二十回くらいなんじゃないかと思う。

 

温泉は好きだし、旅行に出かけたら一日に二、三回は入る。
ただ、家ではなぜかお湯に入って温まろうという気にならない。理由を考えてみても、習慣だからという答えしか浮かばないが、おそらく家の風呂場は身体を洗うためだけの場所という意識が強いのだろう。面倒臭さが先立ち、さっさと済ませてしまいたくなるのだ。風呂なんか沸かしていたらそれだけで時間がかかるし、入るのも体力を使うから億劫になる。

体質的な問題もあるかもしれない。脂性といっていいくらい、身体から出てくる油分が多いことが悩みの一つだ。朝起きると、必ずと言っていいほど髪がベタついている。頭を洗わないと外に出るのが憚られるくらいには、ベッタベタだ。
第二次性徴の半ばを過ぎたあたりから、朝シャンが生活の一部になった。朝の忙しい時間には、ゆっくり風呂に入る時間がない。いつしか家の風呂場はシャワーを浴びるだけの場所になった。

夜は夜で、やりたいことがたくさんある。風呂に割く余裕なんかほとんど残っていない。朝入ったしいいか、とそのまま眠ってしまうことも珍しくない。それが悪循環になって油脂を目立たせている可能性も否定できないが、寝る直前に身体を洗ったとしても寝起きは悲惨なことになっているから、体質的な部分が大きいと思う。
先日、久しぶりに湯船に浸かったが、やはり家での風呂はコスパが悪いと思った。

お湯に浸かることで血行の促進になるなど、まぁ健康上のメリットがあることは知っている。それが習慣になっている人には、寿命では敵わないかもしれない。
ただ、自分にとって習慣ではないもののために時間と体力を割くのは、なかなかストレス度合いの高い行為だという気もする。家の風呂なんて別に楽しいわけでもないし、どちらかと言えば虚しくなることのほうが多い。自分と向き合って思考を整理するためにはうってつけの空間だから、考えようによっては悪くないのだが、似たようなことは自室に一人でいるときにもできるし、何より突発的な閃きをメモに残せないのが致命的だ。何度、風呂場で妙案を逃したことか、もう覚えていない。

 

外に出ない生活が長く続いていると、朝シャンの必要性も薄れてきて、最近では夜に入ることも増えてきた。しかし、風呂に入る頻度は変わらないし、シャワーの回数すら減少傾向にあるから、だんだん清潔感がなくなりつつあって危機感を覚える。少しは外出しないと身だしなみの意識が消失してしまって、社会生活が危うくなりかねない。
一説によると、常在菌のためには毎日洗うことは推奨されないらしいが……日本人としては、そのあたりの感覚は微妙なところだ。