K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

曜日感覚

スポーツの日という響きがなんとも虚しい4連休。
気分は完全に土曜日で、いつものように調子は下向きだった。よく寝たから身体は元気なほうだったが、精神面がどうにも居心地の悪い感じがしている。こういうときはゲームをするか絵を描くか、あるいは……とにかく気晴らしをするしかない。

 

曜日感覚なんて、ないほうがいいのかもしれないと思っている。
社会生活に順応するためには、そういう感覚って需要なんだろうけど、どうにも不断に一定の縛りを受けている感じというか、同じルーティーンの中で人生を消費してしまっている感があって、そういうのがちょっと嫌なんだ。
日曜日だから、月曜日だから、なんていう風に一喜一憂する。それによって行動が影響を受ける。やりたかったことができなかったり、やりたくないことをやったりする。メリハリは大事だけど、基本的な生活パターンである5連勤2連休は、やはり制限が多すぎて、人生がもったいない。
それこそが社会人のあるべき姿だ、なんて胸を張って言われたら、はいそうですか、という感じになってしまうが、別にそれだけが好ましい生き方ではないと思うのだ。
曜日や時間に縛られない自由な生活というのは、一つの理想としてあってもいい。自由の代償には何かを犠牲にする必要があるのかもしれないが、それが金銭のようにわかりやすいものであるなら、私は限界を迎えるまで払ってもいいとさえ思う。

曜日感覚のメリットは、規則正しさにしかない。いや、断言してしまってよいものか、少し怪しいところだが、ともかく個人的には優先すべき感覚ではないのだ。
長い連休で曜日感覚がなくなっちゃった、なんて感じているときは、むしろ素晴らしい領域に足を踏み入れることができたものだと、感心する。好きなときに寝て、食べて、働く……
もちろん仕事には納期などがあるだろうから、完全に無視することはできない。ただ、そこに辿り着くまでの道程を自ら選んで決めていけるのは、とても人間らしく思えて憧れがある。堕落しないための自制心というのは、必須のスキルなのだろう。それを私は備えることができているのかどうか、確かめる意味でも、一度やってみたさがある。

曜日感覚や、あるいは時間間隔に束縛されることのデメリットで一番大きいのは、日々が惰性化・単調化することだ。大人になってから時間が経つのが速いという感覚は誰もが経験するはずだけど、相対的な考え方の他に、生活に新鮮味がなくなるからという視点があってもいいと思う。
この日、この時間帯は決まってこれをする、というのが続いていくと、毎日がものすごいスピードで消化されていってしまう。とてもつまらない。そんなことで人生を消化してしまって、本当に満足できるだろうか。それでよいという人も多いのだろう。特に日本人には。私は、おそらく駄目なほうの人間だ。だから、自ら脱線して変化を求めなければならない。

新鮮味には、クリエイティブな活動が誂え向きだ。頭を使うし、うまくいかなくて苦しむし、前に進んだときの喜びを至上のものだ。
できれば一年後に、一年前は何をしていたか、どんな出来事があったか、思い出せるような毎日を送りたい。こうやって毎日、日記を残しているのには、その日に何をやったか、何を考えていたかを記憶に刻むという意味もある。一年後に役立っているかは微妙なところだが、気を抜いていると惰性化してしまう日常というやつに少しでも抗いたいのだ。
人生を豊かにするための営みは人それぞれだろうから、私とはまったく正反対という人間も大いにいることだろう。私の場合、そのうちの一つは「曜日感覚を失うこと」だ。