K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

歌詞と音

楽曲に関する他人の感想をTwitterで調べてみると、歌詞に言及しているものが珍しくない。
言われてみれば、歌詞というのは楽曲の意味するところを考えるうえで重要だし、特にアニタイなんだと作品との連関が表現されていることがあって、考察しがいがある要素だ。
ただ、私はどうにも、楽曲を楽しむ際に歌詞に注目していないようだった。

 

同じ曲を何度も聴いていれば自然に歌詞は覚えてしまうもので、ハマった曲などを小声で口ずさむことがある。
問題なのは、覚えた歌詞の一つひとつに対して、特になんの感情も芽生えていないということだ。「ここの歌詞がいいんだよ」なんていう感想は、だから私の場合には出てこないし、よく理解もできない。
私は歌詞というものを、楽曲を構成するための音の連なりとしてしか捉えることができない。聴いている最中に、その言葉の意味が頭の中に具体的なイメージを想起させるということが、ほとんどないと言っていい。
考えてみると、なかなかに損しているような気がしないでもない。

そもそも私は耳が悪いほうで、歌詞を正確に聞き取れないことが多いのだ。聴力が劣っているという話ではない。耳に入ってきた音声情報を、正確に分析する力が不足している、とでも言うべきか。とにかく、音は届いているけれど何を言っているのかわからない、という感じだ。
大人数の飲み会など、周囲が騒がしい状況での会話なんかだと、本当に聞き取れなくて困ることが多い。わざとではない。何か言っているのはわかるのだが、それを耳が解釈してくれない。何度か聞き返しても理解できないことが頻繁に発生するため、適当に笑顔で「ハハハ……」と相槌を打って流そうとすることもよくある。なお、話の内容が質問である場合には答えになっていないため、互いに気まずい空気を作り出してしまうことがあったりなかったり。

そんな不都合のある耳のせいだろうか。楽曲を聴いているときにも、あまり歌詞が理解できていない。カラオケなんかで歌う際にも、歌詞の意味を考えることなんて滅多になくて、基本的には決まった音を出しているだけ。要するに、まったく異なる歌詞であったとしても、私の楽曲に対する想いは変化しないことになる。

たまに、歌詞を覚えたい、と思うことがある。それは曲の意味を深く理解しようとするためではなく、好きな曲を脳内再生する場合に、歌詞が曖昧だと気持ち悪いからだ。
「楽曲名 歌詞」で検索して出てきたページを開いて、頭の中で曲を鳴らし、歌詞を頭からなぞっていく。当然、歌っているのは脳内に住む現実と瓜二つの声帯を持つアーティストだ。CD音源さながらの楽曲が、見事に頭の中を響き渡る。
そのときになって、ようやく私は歌詞というものに出会う。歌詞として役割を与えられた言葉たちが持つイメージ。楽曲に仕組まれた、より具体的な情景が次第に広がっていく。音だけだった楽曲が色づいていく。

楽曲と真の意味で向き合うためには、耳から入ってくる情報だけではなく、歌詞カードに書かれた文字を読み取ることで初めて可能となる。なんとも難儀な話だけれど、これまで触れてきたさまざまなお気に入り楽曲は、ことごとくこのパターンだった。
考えてみるまで気づかなかった。私はストレートに歌詞を把握できないのだと。楽曲を十分に楽しめていないのだと。普通の人よりも手間がかかるのだと。

音色と歌詞は一体ではなく、別々のものとして存在していて、耳と目で、それぞれから得た情報を掛け合わせることで、とうとう完成する。
耳からの情報だけで一挙に飲み込める人が、少しだけ羨ましく思った。