K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

金縛り

寝ている最中にふと目を覚ますと、身体がまったく動かなくなる。そういう超常的な現象があるということは知っていた。
意識があるのに身体が動かないなんて、不思議な話だ。

 

昼寝をしていたら、妙な夢を見た気がした。意識は朧気で、まだ夢の延長のような気がする。しかし、薄目ながらも目を開いている感覚はあって、近くにあるものの映像が頭の中に入ってくる。
やっぱりおかしいぞ、と思ったのはすべてが終わってからだったのだけれど、どうやら半分は夢だったらしい。まるで創作の中の出来事のように、本来ある姿とは異なる形で、目の前のものを私は認識していた。半分は覚醒していて、半分は睡眠状態。
動こうとしたところ、まったく身体が動かない。いや、動かないなんてものではない。圧倒的な力をもって、私の身体を押さえつけてくるナニカ。力を込めれば込めるほど、反動のように強く圧迫される感覚があり、最後には呼吸すら覚束ない有り様だった。
主観的には意識があって、けれど身体は硬直してしまって、苦しい。なんだこれは……と考えているうちに、頭の半分で展開されていた夢が進行して、いったん暗闇に落ちる。気づいたときには今度こそ本当に覚醒し、金縛りからは解放されていた。

長時間、拘束されていたように思った。金縛りに遭う前にいくつかの夢を見ていた気がするから、それと合わせて数時間。あーあ、また昼間の時間を睡眠のために使ってしまった。
若干の後悔を覚えながら確認してみると、眠りについてから20分程度しか経過していない。
目を疑った。夢の中というのは、時間の流れがバグっている。あれだけ長い苦しみが、つまりたったの数分だったということか。
初めて体験した金縛りという現象に加えて、時間感覚の大幅なずれは、私を混乱させるのに十分だった。
寝起きの、まだ焦点の定まらない頭で考えてみる。時間という絶対的な概念に制限を受けない空間。夢には無限の可能性があるのではないか。そんなことを思った。


このところ、よく変な夢を見る。たいていは目覚めた瞬間から忘却を始めてしまうため、ほとんど覚えていないのだけれど、印象だけは頭の中に残るようだ。
家族や知人が出てくることが多い。夢を見ているのは目が覚める直前の短時間で、けれどそれなりにストーリーがあるから、仮に忘れることがなければ短編映画のように楽しめる気がする。
夢を見たことをまったく覚えていない目覚め、というのも普通だと思うけれど、最近は毎日のように何かしらの夢を見た、という記憶をもって覚醒する。
夢を見る期間とそうでない期間で、何か違いがあるのか。あるいは、覚えていなくても夢を見ている可能性はあるけれど、見たこと自体を記憶するために何か条件があるのか。
夢というのは、日常において最も身近な不思議の一つだなと、今さらながらに思う。

明晰夢を使いこなせたら、人生は楽しくなりそうだ。起きている時間だけでなく、眠っている時間にも楽しみを求めることができる。抗いようのない睡眠欲に従うだけの行動に、意味を見出だせる。
かつて、一度だけ明晰夢らしきものを見たことがあった。『インセプション』という映画を見た日の夜のことだった。夢の中に入るというコンセプトだ。半ば脳を錯覚させるような形だったが、「夢の中で夢の中に入る」という夢を見た。そこでは、ある程度自由に動ける私が存在することができた。「夢の中に入っている私」の感覚。無限の可能性があった。
体感時間はそれほど長くなかったので、起きてしまってから、もう一度同じ夢が見られないかと思った。けれど、それ以降は一度も成功していない。