K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

つながりを断ち切るために

プランクとかいう筋トレを始めることにした。一日あたり数分もかからないらしいから、怠け者の私には最適だ。
主に鍛えられるのは腹筋だから、不具合が出ている脚はあまり改善されないかもしれないが、まぁ身体を動かすきっかけとしてはいいだろう。

 

お世話になった相手への挨拶というのは、状況によって必要なことだと思っている。非常識な人間ではあるけれど、それくらいの常識は備えているつもりだ。
ただ、こういう状況下でもあるし、なかなか直接というわけにもいかない。残念ながら、以前に会ったのが最後の顔を合わせる機会という人がほとんどになるだろう。
永遠の別れになるとして、しかし特に思い残すこともない。だからメールで十分だと考えているのだけれど、相手がそうであるとは限らないというのが気がかりな点だ。
相手が私をどう思っているのか。私の感覚と実際とでは、齟齬がある場合が珍しくない。

お世話になった、と一言で表すなら簡単だけれど、その形は人それぞれで異なる。
本当は、一人ひとりに対して個別に送る言葉があるはずなのだ。BCCで一斉になんて、面白くない。あっけない。彼らとの関係は、そんなあっさりしたものだったのか。
正直な話、組織ではなく個人との関係性を考えるなら、とても惜しいことをしている気分になる。いい人ばかりだった。いつの間にか姿を消すなんてことは、できればしたくない。
いったい、どうすればよいのだろう。

簡単な話だ。せっかく毎日こうやって文章を書いているのだから、文字を使って情報を伝達することについて大きな抵抗感とか苦手意識みたいなものはない。
私の中から出てくる想いを綴るだけ。それが普遍性を損なうものであれば、送信先を限定すればよいのだ。何しろ時間はある。会えないのであれば、それくらいの手間はかけるべきだ。でなければ、伝わらない気がする。申し訳ない。後悔しそうだ。

もう一つの問題は、タイミングだ。
本当に最後の日にすべきか、それとも少し前に送るべきか。
心理的なつながりの一切を断ち切るつもりなら、前者でもいいのだろう。それはつまり、返事を受け取らず一方的に伝えるということを意味する。
後者は、相手に選択肢を与える行為だ。私に対してどのような感情を持っているのか、その反応の有無をもって確かめる。何もないならそれで構わないけれど、少し期待してしまいそうな自分がいる。ストレスが溜まりそうだ。
いずれにせよ、何かしらの連絡はしなければならない。これは私の内部で定められた課題の一つだ。無視しても生きていくことはできるけれど、その程度のこともできないのかと、私自身が私を赦さないだろう。

とりあえず文面はゆっくり考えるとして、明日から連休らしいので、明けた水曜日にでも送るとしよう。
対人関係が希薄で孤独感を覚えることの多い私にとって、たとえ形式的であっても一度出来た他人とのつながりというのは、やっぱり簡単に無下にはできないものなのだ。
新しい道に進むためとはいえ、それらの多くを失うと考えると、なかなかもったいないことだなぁと今さらのように思う。