K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

そこに確かにあったもの

私は人間関係の構築がうまくないし、一度出来上がった関係性を維持するのも得意ではない。性格の問題だが、自ら他者にアクションを起こすことがない以上、向こうから近づいてくれなければ、自然と距離は離れていく一方だ。
高校までのほとんどの知人とはSNSやLINEでの繋がりがないし、あまり連絡先の交換もしていなかったから、音信不通というか、事実上の縁が切れた状態ということになる。
しかし、私は自ら意図的にその関係を断ち切るような行動は一切してこなかったし、しようとも思わない。勝手な解釈だけれど、いなくなるのは、いつだって私ではなく相手なのだ。

 

大学以降の人間関係は、高校までとは質が異なる。スマートフォンの普及や、インターネットを介した連絡手段の発達に伴って、連絡先というのはツールを媒介としてなら、非常に簡便に交換されるようになった。別にやり取りしないのに、と思っていても、とりあえず追加される「友だち」。
まぁ私の場合は、個人トークなんてしないだろうと思った人間は「友だち」から削除しがちなので、28人しかいないわけだけれど、それでも連絡を取ることができる相手が一クラス分くらいはいるわけだ。高校までのように、本当に数人としか付き合いがなかった頃の規模と比べれば、数倍に拡大している。

そうやって増えていった繋がりは、容易に作れるだけあって壊すのも簡単だ。ブロックしてしまえば、それだけで切れてしまう。
ネット上だけの関係であれば、所詮はその程度のものと考えることもできるけれど、リアルの人間関係が絡んでいると、なかなかに面倒な事態になりかねない。私は面倒事が嫌いなので、基本的に現実的な付き合いのある人間をブロックすることはない。相手に嫌われない限りは、大学以降に出来た人間関係がなくなるなんてことは、あまり想定しなくてよいはずだった。
一昨年までは。

 

大学時代のサークルの同期とは、LINEはもちろんのこと、Twitterでも繋がっていて、当時はくだらないやり取りで時間を潰したものだった。思い返せば、とても楽しかったなと感じられるくらい、深い交流があったように感じる。今となっては対人コミュニケーションの不足が極まっている私にも、そんな時代があったのだ。
現在は、個人的なTwitterの運用に関しては以前に書いた通り、ほとんど情報収集がメインとなっていて、大学時代の知人をフォローしているアカウントで呟くことはなくなった。身近な人間とのコミュニケーションという役割は、とっくに終わってしまっているからだ。
使い方は人それぞれで、特段ツイート数が減っていないやつもいれば、私と同様に呟かなくなったやつもいる。まぁ社会人になってからは減るのが普通だとは思うが、それでもちょっとした関わりのきっかけとして使っている人は少なくない。私も、呟かないながらもたまにTLを眺めて暇潰しをする。

卒業後の付き合いと言えば、年に何回か「いつものメンツ」のグループなり複数人トークなりで、遊びや飲みの募集が行われることが多かった。かつて存在していた、私を含む四人のグループでは、ちょっと高級な店に行って食事をしたり、ボードゲームや麻雀をするために集まったりしていた。ペースは三か月に一度くらいで、個人的にはそれが定期的な楽しみとなっていた。五年後や十年後にも続いていたら楽しいだろうな……と。
残念ながら、そのささやかな祈りは唐突に叶わないものとなる。
いつも集まっていたメンツの一人が、音信不通になったのだ。

 

先日、久しぶりに会ったそのメンバーの人間と、あいつとはもう一生会うことがないんじゃないか、という話をした。かれこれ連絡が付かなくなってから一年半以上も経っているし、今さら何か用があるとか、わざわざ会うだけのきっかけが出来るとも思えない。性格から考えても、うっかり遭遇しそうな場所(オタクが集まるイベントなど)に顔を出すことはないだろう。
とても捻くれていて、面白い人間だった。しっかりと常識を弁えている一方で、場の空気に流されることを嫌ったり、自分に合わないと思うものをバッサリと切り捨てたりできる。それでいて負けず嫌いで執着が強い。その拗らせ具合は私の思考や行動と通底する部分があり、自信過剰かもしれないけれど、私との相性はよかったと思う。

人づてに、何かやりたいことがあったのだと聞いた。だから、それが軌道に乗るまでは一切の雑音をなくしたいのだと。正確な情報なのか定かではないけれど、それが本当だとしたら、とてもあいつらしい、と私は思う。

サークルメンバーとの交流に使われていたアカウントは、二年半以上も更新が止まっている。それは私と変わらないけれど、おそらくログアウトしているのだろう。
その他、趣味の関連で別の界隈との交流もあったようだが、そのアカウントは削除されてしまっている。ID検索などを駆使して、数年前に関わりのあった人間の発言などを調べてみたところ、そちらにも何も知らせずに消してしまったようだった。Twitterから足取りを辿ることは、ほとんど不可能と言っていいだろう。
LINEは、ブロックされてしまったのか知らないけれど、ある時から既読が付かなくなったらしい。私は個人トークなんて滅多にしないし用もないから試してはいないものの、私よりも仲がよかった人間からのアプローチさえ無視するくらいだから、きっと無意味なのだろう。

いずれにしろ、こちらから連絡を取る術は皆無に等しい。残った可能性としては、やりたいことが成功して心に余裕が出来た後、こちらに連絡をくれること、しかないかもしれない。
でも、私にはなんとなくわかってしまうのだ。一度、こうやって縁を切るようなことをしてしまうと、再び会おうなんて気には到底ならないのだと。

もう会えないのだと思うと、急に寂しくなって昔のことを思い出してしまう。こういうことは、生きていたらこの先にも何度かあるのだろう。その度に悩んでいては心がもたないし、会わなくなった人間のことはきれいに意識から消し去ってしまったほうが、健康的かもしれない。
そして、たまに記憶から取り出して呟くのだ。あの頃は楽しかったな、と。