K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

終わりの果てに

所属している場所から離れて、別のところへ行く。
これまでに私が経験してきたそれらは、基本的に卒業という定められたプロセスの一環に過ぎなかった。自らの意志で決定し、そして単独で送り出されるというのは、だからほとんど初めてに近いことで、それに付随する様々な出来事や走馬灯のように思い出される出会いとか、関わってきた数々の作業なんかはきっと、生涯にわたって自らの内面において、格別の存在になるような気がしている。

 

在宅勤務が推奨されている昨今だから、てっきりほとんど誰もいないものかと思っていたのだけれど、いざ入ってみるとそれなりに人口が確認できて想定外だった。何か手土産でも持っていったらよかったと、少しばかりの後悔が残る最後となってしまった。
後悔と言えば、本当に最後の最後で何か喋るよう促されてしまって、何も台詞を用意していなかったものだから咄嗟に適切な言葉が見つからず、しどろもどろな挨拶になってしまったのが悔やまれる。
まともに対面で人と話すこと自体が、とても久しぶりなのだ。今となっては、こうして文章にするのがどれだけ簡単なことか。書くのと比べると、だいぶ伝えたいことの精度が落ちる。不慣れであるということを差し引いても、口頭で一発本番というのは、どうにも私の性に合っていないようだ。

先日それなりに時間をかけて考えた、それぞれお世話になった人に対するメッセージは、無事に送り届けられた。予約送信とは便利なもので、私が去った後にちょうどよいタイミングで一斉に送られるように設定した。
驚いたのは、その直後のことだ。
送信されてからわずか10分以内に、主要な相手全員からの返事があった。帰り道、私は人の想いが載せられた画面を、食い入るように見つめていた。内容はいずれも私が挿入したエピソードに絡むものばかりで、形式的ではあるが励ましの言葉もしっかり受け取ることができた。嬉しかった。
個人的な付き合いではないからだろうか、それらを読んで、特に涙が出そうになったということはなかったけれど、しかし少なくない人数から気にかけてもらっていたという事実を客観的に認識した瞬間、強い感激を覚えた。私は、孤独ではない。いつだって誰かの心は、私に寄り添ってくれている。そう思ってもいいのだと、勝手に許された気になっている。

成人して、大学も卒業して、だんだん年を重ねてくると、少しずつ人脈を形成したりそれを広げていったりするのが難しくなる。一般的にそう言われているというだけでなく、これは短いながらもそれなりに生きてきた私の実感だ。この傾向は、今後ますます強くなっていくことだろう。
所属していた組織というのは、もはやかつての居場所でしかなく、契約関係上は縁が切れた存在だ。とはいえ、私にとってはかけがえのない人と人との繋がりの場でもあった。少しでも本気を傾けて、時間と身を捧げなければ得られないものでもあった。なんとでも言うことはできるが、実際には簡単に清算できるわけがないのだ。
この、なんとも曖昧な繋がりというやつについて、今後どのように扱えばいいか、選択肢はたくさんあるだろう。しかし一つ言えるのは、これを機にすべてをきっぱりと切り捨ててしまうのは本当に惜しいということだ。本心から、この縁は大切にすべきだと、今の私は考えている。

この先においても、相談してもいいとか、近況を教えてほしいとか、個人の連絡先を伝えてくれる方もいた。これは私が彼らに見せてきた成果や、かけられていた期待の反映であると同時に、彼らの厚意そのものでもある。それらを無下にしてしまえるほど私は非情でもないし、他者に対して無関心にもなりきれない。繋がるための窓口を残しておいてくれたことは、この上なくありがたいことだと思った。
実際に活用できるかはわからない。これから待ち受ける数々の難題に忙殺されているうちに、すっかり失念してしまうかもしれない。いや、忘れることはないだろうが、使う機会があるのかどうかという点について言えば、今はまったく確信が持てない。
だからこそ、期待に応えるためにも、私は頑張らなければならない。このところ、新しいことを始めるなど少しずつ生活が変わってきたところだけれど、引き続きモチベーションを上げていくための材料として最後に十分な収穫があったことは、今年一番の僥倖と言えるだろう。