K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

自動更新オフ

かなり前の話になるけれど、まだスマートフォンという機械に慣れていない頃……2010年代の前半に、私はアプリケーションの自動更新をオンにしていた。
おそらく一般的にはそれが当たり前の設定で、今の私のように機種変更をしたらまず自動更新をオフに切り替えるような人間は少数派だと思うのだが、ちゃんと理由がある。

 

たとえば、自動更新が有効になっていると、Wi-Fiに接続された瞬間に更新を試みようとする。長く使っているとインストールしているアプリの数もそれなりになるから、ほどんど確実に毎日、何かしらの更新がかかることになる。端的に言って、これは非常に煩わしい。
サイズの大きな更新の場合はスマホに負荷がかかるため重くなるし、何より上部に次々と現れる通知が鬱陶しい。
私は通知が長いこと画面上部に留まっているのが許せない性質なので、いちいち消す手間を考えると自動更新を切っていたほうが都合がいい。

たとえば、自動更新が有効になっていると、馴染みのあるアプリのUIがある日、突然に変貌を遂げる。それが改善にせよ改悪にせよ、心の準備なく使用感が変わってしまうのは好ましい出来事とは思えないので、更新内容を事前に知りたいという考えがある。
特に問題なのは、以前には使えていた機能が削除されてしまうこと。あるいは更新内容に不具合があって、既存の機能が正常に働かなくなること。
たまにAndroidiOSの更新に際して、予期せぬ問題が発生する可能性があるから迂闊な更新は待ったほうがよい、なんて話題になることがあるけれど、一つひとつのアプリケーションについても私は同様の認識を持っていると言えば、多少はわかりやすいか。

 

日常的に起動する頻度が高いのは圧倒的にTwitterChromeで、両者とも大型のアップデート時にはUIや使用感の変化が大きいと感じている。
まぁChromeについては、最近は変わってもそれほど使いにくくなることはないので、機を見て適宜更新しているけれど、Twitterはどうにも許容できない。
なんの気まぐれか知らないが妙な機能を唐突に追加したかと思えば、過去には馴染みのあった「ふぁぼ」のハート化(いいね化)やアイコンの丸型表示への変更など、「そこ変える必要ある?」と思われる更新が少なくない。アンケート機能とか、ツリー化してまとめて投稿とか、有用に思える変化もあるにはあるけれど、主にUI面での不満は多い。
数か月前に、更新しないと使用できなくなる事実上の強制アップデートがあったので、およそ一年ぶりくらいだろうか、渋々ながら更新を実施した。その際には、取り立てて不満を感じなかったものの、二年ほど前にはフォントサイズが変わったりホームボタンなどの配置が変わったりと、使い勝手に大幅な変化が見られた。
見慣れたものが失われるのは気持ちが悪いから、UIについてはカスタマイズ性を高めてくれたらいいのにと思う。

 

最近では、何やら「フリート」とかいう機能が追加されたようだが、私はインスタをやっていないので「インスタみたい」と言われてもまったくピンと来ないし、画面の一部を占拠して邪魔だとか、既読機能があってこっそり見ているのがバレてしまうとか、そういう余計な要素ばかりが印象に残っているため、今のところ様子見している。
特に既読機能は困るのだ。表向きには、私はTwitterを三年以上も更新していないから他界していることになっているわけで、別にリアルが充実しているから呟かなくなったというわけではなく「日常的にツイートする」ことが私の肌に合わないから沈黙に至っているのだが、ともかくタイムラインにおいて私は存在感を消しているのに等しいため、うっかり見ていることが知られてしまうと、忘れられていたはずなのにあらためて認識されることになって、これはどうにも居心地が悪い。「いいね」が他人のTLに表示されるクソ仕様のために、私はわざわざ「いいね」は別のアカウントを使っているくらいなので、既読機能は本当に必要性を感じない。
別に誰も気にしない。いやはや、それが現実というものであるのは重々承知しているけれど、強いて言うなら私自身が気にするのだ。接点が途切れているはずの他人の視界に、自らの痕跡を残してしまうということに。
当初はiOSだけの機能だったようだが、現在ではAndroidにも実装されてしまっているようなので、再び強制されるまでは現行のバージョンのままでいきたい。
幸い、Webクライアントには未実装のようなので、まだ最悪の事態は免れている。もしWebにまで寝食してきたら、きっとTwitterを眺める時間が減っていくことだろう……いや、それってもしかして素晴らしいことなのではないか、と思わないでもない。

このところTLの進みが鈍化しているように感じられるのは、ひょっとして私の知らない(見えない)ところで、みんなフリートを使っているからなのだろうか。真実は確かめようのないことだが。