K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

プライドのないやつはダメだ

また一つ、世の真理に触れてしまった気がする。
趣味でも仕事でも、何においても言えることだと思うが、己の行為に対する自信や責任感やこだわりというものは、その結果に絶対的な影響をもたらすものだ。
その有無は、人を判断する一つの基準として個人的には何よりも役に立つものだと考える。

 

一昨日の日記で書いた散髪の失敗談だけれど、今日はその続きとなる。
出費が痛いのであらためて別の店に行くことはない、というようなことを書いた覚えがあるが、あれは嘘だ。
自分で切ってしまおうかと鏡の前に立って頭をこねくり回したものの、流石に知識も技術もない素人の腕では余計に悪化することは目に見えていたため、しかしあと二か月近くも我慢することはできそうになかったため、来月の支払い増加には目を瞑ることにした。

髪を切る店など、今や検索すれば山ほど出てくるのだから、先日のようにハズレもあればアタリだってたくさんあるはずで……念のため今回は価格と併せて評判も確認しながら店を選定することにした。
ただ、今週二回目ということもあって割高の店は選びづらく、結果的に前回よりも安い店に行くことになった。サービスの質を考えるなら、また悪手の可能性も否めない。それでも、なんというか、スタイリストの紹介ページを見ていたら私の要望に合いそうな人がいたものだから。判断材料はありがちな紹介文と写真だけだったけれど、この人に任せてみようと思えたのだ。

雰囲気というものは、店によって大きく変わる。単純な内装とか店員の風体とかだけではなく、店に入った瞬間から出るまでの間にどれだけのサービスを享受できるか……これは本当に客の好みの問題でしかないのだけれど、私は髪を切ってもらいに行くのだからそれ以外のサービスは最低限でも問題ないと考えている。
今回、選んだ店がなぜ比較的低価格なのかと言えば、余計なコストをカットしているからなのではないか、と思えるような雰囲気だった。
なるほど、嫌いじゃない。入店から席に案内されるまでの感想を言えば、そんなところになる。

施術開始の段階になってまず驚いたのは、担当してくれる店員の姿勢だった。客の意見を「雰囲気で」聞くのではなく、どういうイメージを望んでいるかという点を写真や具体的な説明を交えながら入念に尋ねてくる。
これは、先日の経験においては存在しなかったプロセスだ。
この時点で既に評価は上回ったので、もう全部「おまかせ」にしてしまってもいいのではないかとも思ったけれど、それでは学習能力がなさすぎるから一応は疑問点を口にしてみる。すると、それがどういうことなのかを事細かに教えてくれた。
この程度のことは、当たり前なのかもしれない。しかし、少なくとも私が過去にお世話になった美容師・理容師には、これほど丁寧な対応はなかった。失敗からの反省を経てかけた期待が間違っていなかったことに、そこはかとなく嬉しさを覚える。

正直なところ、数日前に担当してくれた人との歴然たる差に圧倒されて、体感時間がバグってしまったらしかった。前回は思っていたよりも早すぎるという意味で「え、もう?」という感じだったが、今回は有意義だったという意味で「え、もう?」と感じた。
店員の思い描いた理想形に近づけていく作業が、実際に私の頭上で行われていたのだ。細部までしっかりと鋏を巧みに走らせて作り上げられた髪型は、施術前とは別人のようにも見えるほど輝いていた。
これだよ、これ。技を尽くして切ってもらったという感覚が、確かに頭に残っている。中途半端のまま捨てられたような先日とは正反対の心持ちに、思わず感謝の言葉が漏れた。

両者を比較してみて明らかだったのは、その仕事に対する熱量というか、集中力というか、身の入りようというか……意識していることなのかはわからないけれど、自身の力を客に届けるという精神の表れ方が非常に対照的で、面白く思えた。
人間というのは同じことをしているようでも、気持ち一つで随分と残せる形は変わるのだなと、これは私がこれからやろうとしていることにも通底する概念なので、大変に勉強になった。散髪一回分の料金でこれだけの気づきを得られるというのは、見ようによっては悪くないかもしれない。
こういう風に、物事に向き合う際に重要な役割を果たす心の方針を、きっと「プライド」と呼ぶのだろう。心に留めておかなければならない。