K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

単調ゆえに思うこと

実家にいるとPCを触れないせいか、あまりにも刺激が少なすぎて日記を書くネタに困るという問題が発生している。
文章もスマホで書いていて俯瞰して見られないためだろうか、全体的なバランスが取れていない気がしてならない。


食事に関しては一人での生活よりも充実しているため、生活リズムが崩れて一日二食になっても体重の減少が抑えられているから、悪いことばかりではない。
けれど、ただ寝て起きてソシャゲを消化して部屋の掃除をして、あとは食べて日記を書いていたら一日が終わっている。退屈で仕方ない。
さっさと片付けを終わらせるべきなのはわかっているのだけれど、好きでもないことに対する集中力はせいぜい二時間が限界で、体力もないから手を止めたらその日の作業は終了となる。端的に言って進捗は芳しくない。
趣味に没頭している時は一瞬で三時間が経過することもよくあるので、モチベーションというのは重要だ。

苦戦を強いられてきた部屋の整理も、しかしながら明日でようやく終わりそうというところまで来た。
今日は暗くなってからようやく気力が湧いてきたので、日記を後回しにして夜にバタバタと作業を進めていたのだけれど、家族から煩いと注意されてしまった。
先日、隣人に苦情を出した私としては反省しなければならないとも思ったけれど、今回限りだから赦してほしいという思いだ。

長年使ってきた机の、抽斗の中を空にする必要があって時間がかかった。
何年前のものかわからないレシート、人から貰ったプレゼント、まだお絵描き初心者だった頃に模写した懐かしいイラスト、完全に乾燥しきった瞬間接着剤、決して忘れられない手紙の数々、プリクラの切れ端、その他いろいろなお宝などなど。
前にも書いたように、やはり私は思い出の一部を物質に委ねているのだろう。つい先刻までまったく意識することがなかったのに、数年ぶりにそれらを目にした途端に過去のエピソードが甦ってきた。
今になって振り返るかつての私は、まだまだ人生の初心者だった。どうしてあの時にあんな選択をしたのか、ああしていればよかったのに。省みようとすれば、キリがない。

結局、時間をかけても捨てられないものがほとんどで、多くは新居に持っていくか、ダンボールか何かに保管することになるだろう。
この先の長い人生を考えると、現時点でこれだけの「物」に囲まれている状況は好ましいとは言えないかもしれない。これからは電子媒体が増えていくはずだけれど、容易に捨てられない可能性のある品々を入手するのは、極力控えるようにしなければならないと思った。
まぁ一番困るのは、他人から手渡された手紙だったりプレゼントだったりするのだが……だから自分で買ったものくらいは思いきって断捨離できる心を作っていく必要がある。

日常に変化が乏しいと、せっかくの思い出も色褪せやすくなる気がしている。先々月あたりの大掃除の時よりも、ゴミ袋に突っ込む際に抵抗感がなかった。
常に刺激に満ちた人生のほうが、後から振り返ってみた時に、それぞれの出来事や関わった物体が相補完的に輝いて、素敵に色づくということがあるのかもしれない。