K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

特別な日だったのでイレギュラー対応

過去最大に更新が遅れてしまったけれど、理由としてはタイミングが合わず時間と体力が足りなかった、という以外には説明できないだろう。
ちなみに普段の刺激に乏しい生活をしていたら、もちろんそんなことにはならないから、実はそれなりに面白い日であったという側面がある。


教養というと、その言葉がカバーしている範囲が広すぎるのでパッとしないけれど、個人的に思っている教養というものの一つの形がある。
それは、何か深いレベルにあるものに一度でも触れたことがあるかどうか、ということだ。
日常生活では見たり知ったりする機会がほとんど得られない、特別なもの。
たとえば、旅行をして遠方の土地の空気を吸うだけでもいいし、絶景をバックに写真を撮るだけでもいい。美術館や博物館に行って、古い時代の文化や遺物を見ることでも、それは可能だろう。
別に、目を通じて入ってきた出来事すべてを頭で理解する必要はないのだ。ただ、これまでに経験のなかった特別な空間や物事を見たり感じたりしたという事実とその記憶が、今後の長い人生の糧となる。
そうした一つひとつの積み重ねが、人間としての質を高める教養なのではないかと私は考える。

空虚になりがちな、同じことの繰り返しの毎日から一時的に解き放たれて、7/16という日は特殊な時間を過ごすことができた。
もはや、目にした事象の半分以上について、細かい部分まで覚えているということはない気がするけれど、時間をかけて足を使って、知らない世界を巡ったという思い出は一生のものとして残る。その記憶の断片こそを、心から尊く思うのだ。

 

あまりにも非日常的に動き回っていたものだから、当然のことながら身体へのダメージも大きく、夜は疲労と眠気との戦いだった。
というより、戦う必要も感じなかったし、身体の状態に流されるまま休んてしまおうという気分になって、ついに日記として更新することができなかった。
大した内容ではないから、頑張れば書くこともできたはずだけれど、上手くいかなかったのはなぜなのか……せっかくこれまで続けてきた習慣を、明確な理由なく中断するなんて不思議な話だ。
とりあえず、ぼんやりと頭の中に文章を思い浮かべつつも、それを形にするのは翌日に目覚めてからのことで、実質的に一日に二つの記事を書いてしまうことになるが、まぁこれで日記という日課が途切れたとは考えていない。
とは言いつつ、だいぶ省エネ感のある文章になってしまって内心は微妙なところだけれど、実際のところ、経験した内容を仔細に言語化していくにはあまりにも手に入れた教養が浅すぎるので、これくらいふわっとした感じのほうが気楽なのだ。

それにしても、これでOKにするのなら先日の眠りながら書いたアレはなんだったのかという話になるかもしれないが、あれはあれで珍しい試みというか、平常時に真似できることでもないので問題ないだろう。