K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

また試行錯誤に失敗する

今週に入ってからのことなのだけれど、暇のある今のうちにできることをやっておこうという考えから、自分の身体を使った実験をしている。
それほど難しい話ではなく、寝たい時間に寝て、食べたい時間に食べるという、わりと本能的なリズムで生活するだけだ。
どのような結果になるか……薄々わかってはいたが、やはり規則正しい生活に勝るものはないのではないかと思った。

 

一番の問題点は、前々から日記でも悩みの種として書いてきている睡眠欲の強さで、直近の睡眠がどれだけ長くても半日後には再び身体が眠りを求めてくる。
朝に起きて夜に寝るという流れが失われてしまっているからだろう、本来なら昼寝に適した時間帯に相当する頃にガッツリと休もうとするので、非常に厄介だ。言ってしまえば、昼寝をしたら暗くなっていた、というのが繰り返される感じで気持ちが悪い。

一方で食事の機会は睡眠によって奪われ、一日二食が平均となる。大食いではない私の食事内容では、二回で一日に必要な栄養を満たすのは難しく、このままでは体重の減少に拍車がかかる懸念がある。これ以上、痩せられるのかというくらい、もう極限まで絞られている気がするからあまり心配はしていないけれど。

半日は眠っているはずなのに頭はすっきりしないし、やろうと思っていた作業は進まない。
意外だったのは、昼に寝たのだから夜は動けるだろうと思っていたら、深夜になるとしっかり目蓋が重くなることだった。
こんな意味のない実験をしているもう一つの理由は、数々の課題クリアに向けて自分のペースを掴むことだった。規則正しさというのはつまり心身に対する制限であって、それが多いと長期的な集中力が続かないという経験則から、ちょっとした気分転換のつもりだった。
まぁ結果は大失敗で、今はもう明日からでも元に戻していきたいという考えでいるわけだけれど……そもそもほとんど集中力できない環境を作り出してしまうというのは、読みが甘かった。

大したことをしていないにもかかわらず体感の時間経過が物凄く速いので、損をした気分になる点も感心しない。同じだけの時を過ごしているのに、よくやれている時の自分と今週の自分を比べると、差がひどすぎて呆れる。
幸いにも、明日は某映画の予約をしているから、外的要因によって身体の動きを制限することができる。要するに、予定があるからちゃんと起きられるという話だ。
なんとなく思ったのだが、これから試行錯誤しながら生きていくにあたって、予定の存在は非常に大きい気がする。それが大したものではないにせよ、特定の時間帯になんらかの準備をしなければならないというのは、一面的にはストレスになり得るけれど、確実に行動を縛ることができる。
なるほど、これが緊張感というやつだろうか。自分だけを原動力として自分のためだけに動く際には、あまり緊張感が生まれない。しかし、ひょっとすると質の高い集中を追求するには、程よい緊張感が必要なのかもしれない。

それにしても、心なしか文章に元気がない。こういう日はネタがないのもあるけれど、勢いよく書けないな。