K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

人が出来るまで

このタイトルでは保健体育の授業みたいだけれど、パートナーどころか異性との付き合いがほとんど皆無な私の書く日記なので、当然そんなことはなく。
たまに陥る思考の深淵……今日は、その人をその人たらしめているものとはなんだろう……という疑問に頭を使うことになった。
世の中にはこれだけ多くの人がいて、それぞれが個性を持っている。真似しようとしてもできないし、理解しようとしても難しい。なんなのだろう。そもそも自分のことだって、よくわかっていないかもしれないのに。

 

一人の人間を形作るものというのは、常識的に考えて簡単に表現するならば、その人が現在に至るまでのあらゆる経験の積み重ね……という感じになるだろう。
無垢な赤ん坊は、時間の経過とともに外界の刺激に触れ、感化され、徐々に固有の特徴を尖らせていく。
当たり前の話だ。疑う余地はない。

けれどそれは、必ずしも連続的ではなく、経験したすべての要素を保持しているわけではない……のではないだろうか。
だって、人間は日々の出来事を事細かく記憶しているわけではない。中にはそういう超人的な記憶力を持った人もいるかもしれないが、基本的に脳は勝手に記憶の整理を行うので、頭に留めておく情報を絞っていくものだ。だから忘れてしまった情報は、現在の私の中には存在しない。
わかりやすいところで言えば、一週間前に何を食べたかとか、一か月前に電車の中で何を考えていたかとか、そういう日常的な取るに足らない情報はおそらく優先的に切り捨てられる。数年前ともなればなおさらで、覚えているのはごく一部の印象的な出来事だけというのが普通なのではないか。
あるいは印象的だったからと言って、覚えているとも限らない。当時の写真や想いを綴った文章を読んで、ようやく記憶の奥底からうっすらとイメージを引きずり出してくることが可能になる場合だってある。人の記憶とは思っている以上に曖昧だし、時には無意識に改竄することだってある。
今の私を構成しているものは、過去のすべての経験というわけではないのだ。

しかし、人は経験を経て、少しずつその人間としての方向性が定まっていく。影響が皆無であるはずがない。
それでは、どのように考えればいいのだろう。確かに、十年前に私であった個体は、今もそのまま肉体的には連続性を持ちながら、私という存在を保っている。しかし、比べてみれば思考回路はまるで異なっているし、顔と名前を変えたら、もはや別人と言っても差し支えないくらいには、差異が目立つように思う。
あの時には必須であった私の構成要素が、もはや不要になっていたり、既に捨てられているかもしれない。当時には想像すらできなかったような何かが、今では自分の中心である可能性もある。
そう、これも当たり前の話だが、時間が経てば人間は変化するのだ。つまり、私は絶えず変質しているし、現在の私は、過去のあらゆる私から見て最新バージョンであるわけで、比較対象となるべきは直前の自分以外にはあり得ない。

ソースコードと似たようなものかもしれない。その時々の状況に合わせて改修が入る。一つひとつの変化は大きなものではないけれど、何十世代もバージョンを更新していけば、全容はまったく違うものになっていてもおかしくはない。
必要な部分は残されるが、不要な箇所は省かれるし、場合によってはより適切な形に改良される。
一人の人間を成り立たせている複雑怪奇な要素も、そうやって不断に更新を続けているから、きっと一筋縄には解き明かせないのだ。
突き詰めていくと頭がおかしくなりそうだ。


そこまで行きついて、しかしながらそれ以上は考えられなくなってしまった。
更新のたびに取捨選択される己の要素は、それではいったい何を基準に定められているのだろうか。今の私という人間に至るための方針は、どこで、どの段階で確定されたものなのだろうか。
そもそも同じ環境で同じ親に育てられた子供が、真逆の性格に成長することも珍しくないわけで……もちろん学校などで遭遇する経験は個々に大きく違いはあるだろうけれど、それにしたって違いすぎる。
私には妹がいるのだが、得意分野や社交性、能力を発揮しやすい場所、対人評価、その他あらゆる点において被っているところが見つからない。互いに互いを理解不能だと思っているし、その原因は一生わからないままだろう。

生来的な素質ということになると、もはや考えるだけ無駄だ。一人の人間の終着点が最初から決まっているなどとは思いたくないけれど……特定の経験に対する、その後の人間性の変化の仕方には万人に共通の法則が見出だせないのだから、それこそを人の個性だと考えるしかないのかもしれない。
私がどうしてこのような人生を歩んでいて、これから進もうとしているのか、過去を振り返ってみても明確な答えは見つからない。できることと言えば、日々の変化を休まずに記録しておくことくらいだろうか。
将来、この日記が謎を明らかにする鍵となれば、なかなかに面白いのだが。