K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

世界の色

抽象的な話ではなく、現実的な科学の問題として。
少し前に触れた某ゲームで出てきたネタなのだけれど、色を認識する細胞というのは個人差があるため、同じものを見ても受け取り方が異なる場合がある。
一昔前は色盲なんて呼ばれていて、あるいは色覚異常だとか色弱だとか、言い方は複数ある。ただ、日常生活に大きな支障がある人は少なく、別に障碍でもなんでもない……と言われている。

 

割合で言えば男性のほうが圧倒的に多く、日本人ではおよそ全体の5%が当てはまるのだとか。
世界の見え方が違うなんて、あまり意識したことがなかったけれど、たとえば男女半々で40人のクラスには平均して1人は存在していることになる。
これまでに出会った知人の中で、そのようなことを言っていた人が大学時代のサークルに1人だけいたけれど、特にそれで不都合があった記憶はないし、わざわざ公言しないだけで実は色弱だという人は、もっとたくさんいたのかもしれない。

どうやら私は正常らしいので、彼らの見え方というのがいまいちわからない。
ネットで調べたらいくらでも出てくる色弱のテストを試しにやってみたが、なんの疑いもなく「正解」を当てることができる。
そもそも色の認識に「正解」なんてあるのかどうか、微妙なところだ。何が正しいのかなんて、本人にとっては主観的な見え方以外にあるのだろうか。
色弱の有無というのは結局、人間社会の勝手な都合で型に嵌めているだけなのではないだろうか。
「正常」とされる人間にだって見えないものはたくさんあるし、逆に「色弱」にしか認識できないパターンもあるわけで、どちらがいいという話ではないのかもしれない。

そんな考えは持っているものの、色というのはRGBによって表現されるのが基本である以上は、より多様な色彩を認識できたほうがお得ではあるよね、と思うこともある。
鮮やかな血の赤や、草原の緑がほとんど同一のくすんだ色合いでしか感じられないなんて、なんだかとっても寂しいではないか。
もっと世界は輝いているはずなのに、それを一生知ることができないなんて。
まぁ本人にとっては生まれた時からそれが普通であり、場合によっては区別が付きづらい程度の問題で、固有の色味に関心なんてないのかもしれない。けれど、たとえばイラストを描くのが好きなのに、色がわからないから色塗りが苦手、という人も珍しくないようで……そうでない人との差は、実のところ双方が想像している以上に深いのではないかと思わないでもない。


「色のシミュレータ」というアプリがある。
カメラに映る景色や選んだ画像の見え方を、色弱の種類ごとに「正常」な人にわかるように表示してくれるものだ。
よく閲覧するサイトや、保存していた画像をいくつか選択して試しに見てみたのだが、いやはや驚いた。こんなにも、世界は奇妙なものだっただろうか。精細な色の認識力というのは、いったいどれほどのアドバンテージなのだろう。
正直、私は舐めていたのだと思う。区別できないとは言っても、特定の暗い状況下などに限定されるのだと。いや、もちろん実際はわからないのだが、しかしいざフィルターを通して見ると、まるで世界は違って見えるのだ。

一方で、調べていたら見えすぎるパターンもあるのだと知った。
色弱」とされるのが2色型で、「正常」とされるのが3色型、そしてすべての色を知覚できる(?)4色型だ。
あまりにもサンプルが少ないため、情報がそれほど転がっていないから定かではないのだけれど、普通の人にはわからない色まで細かく見えてしまうために、「正常」な人との間には食い違いが発生するらしい。
すべて見えているから困ることはないにせよ、一方的に情報過多の世界で生きているとするなら、また一般人とは異なる価値観を持っていそうな気がする。
私がそういう人に抱く感情は、多少の憧れはあるかもしれないが、どちらかと言えば畏怖に近いように感じた。自分には見えないものが見えている。色に関して言えば、絶対的に及ばない立場にいる。それがもう、どうしようもないことだと瞬時に理解してしまうから、悩むことすら無意味に感じる。
2色型から3色型への眼差しも、それに類似するものがあるのだろうか。

当たり前だと思いこんでいた、世の中に存在している色の付いた数々の物体は、ひょっとすると一面が灰色や褐色なのかもしれない。
もしくは、もっと無数の色によって構成される、刺激に富んだ性質を持っている可能性だってある。
自分の目に見えていることだけが世界の真実ではないということを、とりあえずは忘れないように認識しておきたいと思った。