K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

不眠症

先月から続いている体調不良の延長線上の話で、最近は上手く眠れないという問題を抱えている。
たとえば早起きした日に、昼寝もせず夜まで意識を保っていたとしても、ぐっすりと熟睡することができない。夜中に強い眠気は感じるものの、いざ布団に入ると寝付けないし、眠れても数時間で目覚めてしまう。設定したアラームが最後に鳴ったのがいつだったか、よく覚えていないくらいだ。

 

主観では大丈夫だと思っているけれど、実のところ精神を病んでいるのかもしれない。
自分以外の誰とも会話が発生しない環境に長く身を置いて、自他の境界線を認識することがなくなった私は、要するにあらゆる側面において比較対象を持つことができないでいる。そろそろアイデンティティを失っても、おかしな話ではない。

自分という存在への具体的なイメージが希薄化することで、日々の生活に取り入れているはずの刺激も、気づかぬうちに色褪せたものばかりになっていき……次第に心は頽廃的な様相を呈していく。
良識とか常識とか、普遍的な価値基準をアップデートできなくなった先にあるのは、いったいなんなのか。少なくとも、好ましい事象が待っているとは思えない。
そう考えられる程度の冷静さはまだ喪失していないようだが、このままでは心が壊れて別人格に身を委ねてしまうまで、そう遠くはないように感じるのだ。

 

問題を解決する糸口はアプローチの距離別にいくつか存在していて、最も短期的な話で言えば十分な睡眠を取れるように工夫することに他ならないわけだが、熟睡が活きるのも正常な規則の中にあってこそなので、まずは人生で最も深刻なレベルで不規則となっている起床と睡眠のリズムを、体調が戻るまで徹底的に整える必要がある。
神経質な私にとって睡眠というのは非常に繊細な営みであるため、甘えて夜更しをしてしまったり、外部から邪魔が入ってしまったりするだけで、一気に生活のバランスを崩しかねない……というか、今回の直接的な原因がまさにそのパターンなので、反省と対策についてはいくらでも悩み考えているところではある。

他方では、根本的な心の問題を解消するには他者との交流が最も簡単かつ困難な方法として挙げられる。
定期的に、あるいは不定期でも高頻度で自分以外の存在と会話を行う機会を作ることができるなら、おそらくこの精神病は拍子抜けするほどあっさりと消え去ることだろう。
別に医師から診断を受けているわけではなく、己の感覚と経験に基づいて感じた異常を「病」扱いしているだけなので、実は大したことがない可能性だってあるけれど、ともかくコミュニケーション不足による精神への悪影響は小さくないはずだから、このように考えることが間違っているとは思わない。

厄介なのは、以前から何度も書いてきているように、他者とのコミュニケーションは自分一人ではできないことだ。
もちろん、内なる自分との対話として、このように思考整理の文章を書く習慣を続けてはいるけれど、結局のところ二重人格というわけではないから限界はある。
自らの身体的な境界を越えたところに存在している、私とは絶対的に異なる人間を相手にした会話を経ることでしか手に入らないものがあると思うのだ。
残念ながら知人や友人の少ない私にとって、そうした営みを日常的に達成するハードルは果てしなく高い。私の現状を知っている人や、私そのものに強い興味関心を抱いている人が思いつく限り皆無である以上は、睡眠のように気分と努力でどうにかなる問題とはまるで本質が異なる。

 

ふと思ったのだが、このような文章を毎日のように量産している時点で、どこか正常な人間からは外れたところに位置しているような気がしないでもないので、異常事態だからと悩むこと自体が矛盾を抱えていそうでもある。
もともと変なのだから、多少おかしくなったくらいで何を問題視する必要があるのだろう。もっともっと、拗らせて捻くれていったって、誰も文句なんて言いやしないのだから、どうやっても解決できない事象を問題として捉え悩んでいるよりは、意に介さず気ままに生きていくほうが吉なのではないか。

朝に起きて夜に眠るなんていう常識は捨ててしまって、眠れないならそれで構わないし、身体が限界を迎えたら自然に意識がなくなって睡眠に向かうのだから、それでいいではないか。
……まぁ考えるのは自由だけれど、なかなか開き直れない私もいるので、まだまだ常識人なのだろうなぁとも思う。