K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

遅効性の疲労

歳を取ると筋肉痛を感じるまでに時間がかかるようになると言われるけれど、純粋な体力の減少に対する疲労感も同様なのだろうか。
昨日は今年一番とも言えるくらいに外を歩き回ったから、疲労が溜まっているのは確実ではあるのだが、しかし今朝はそれほど身体に疲れが残ったようには感じていなかった。
それが昼、午後と時間が経つにつれ徐々に効いてきて、ついに夕方には力尽きてしまった。

 
夕方に眠くなるのは、いつもの昼寝モードに入っただけとも考えられる。ただ、明らかに起きるのが億劫であったし、数時間は眠っていたと思うのに頭がすっきりする感覚はなく、昼寝をしたわりには今夜すぐにでも眠れそうな感じすらある。
この気怠さは、そう珍しい現象ではない。まさに、体力を激しく消耗した日の翌日に出る疲労感そのものなのだ。

疑問なのは、午前中には一切の自覚がなかった点で、付け加えて言うなら目覚ましのアラームよりも先に起きられるくらい、あれは心地のいい寝起きだった。
昨晩あれだけ疲れていたはずなのに、それほど長くはない睡眠時間で、気味が悪いくらいに体力が回復している。今から思えば完全に罠だったわけだけれど、とにかく朝は珍しく元気があったので、今日はなんでもできそうな気さえしていた。

昼食の前後あたりから様子がおかしくなり始めて、その数時間後には完全に意気消沈する。朝の活力が嘘みたいに、私は無気力の塊と化して動けなくなった。
これだけの急転直下は記憶にほとんどなく、だから過去のパターンから身体の使い方や意識の方針を定めることができず、ただひたすらに疲労と眠気との狭間にある深淵に呑まれていくだけだった。

疲れが出るまでに時間を要するようになったのだとしたら、これは少しマズいことかもしれない。
疲労感というのは、おそらく痛みなどと同じく身体に不都合が発生しているサインのようなもので、基本的にその日に頑張れるかどうかというのは朝の時点で判断しがちなものだ。
寝起きがつらいから、今日は大変そう。気持ちのいい朝を迎え日には、夜まで元気が継続しやすい。
これまでに身体で覚えてきた調子のバロメーターが壊れてしまったのだとしたら、そのズレに合わせて生活の戦略をアップデートしていかなければならない。

まぁひょっとしたら、日記が書けなかった代わりに昨日の夜にある程度の、疲労の総量の半分くらいは回復していて、残りの半分が今日の午後に充てられたという可能性はある。
そんな器用かつ不器用なことを意思とは関係なく身体が勝手にやっているのかは微妙なところではあるけれど、そういう風にこじつけでもいいから理由を考えないと、納得できない私がいる。
なんとも難儀な体質だなぁと嘆くことは、いくらでもできる。しかし、この身体は私という存在を構成する一部であり死ぬまで付き合っていくしかないのだから、自分なりに分析するくらいのことはしておきたいのだ。
まぁ結局、他の人には見えない部分で、自分でも把握できる領域は僅かしかないのだから、たまにはそんなこともあるよね、と適当に流してしまうほうがストレスが減って、精神衛生的には良いのかもしれないが。

 

……それにしても、本日二回目の日記だというのに書くための新しい材料が他にほとんどなく、大変な刺激を受けた昨日との落差に、反動というものの威力を如実に感じざるを得ない。