K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

2021〜2022

何か素敵な出来事が起こる予感に満ちていた年初から考えると、思わぬ時間の使い方が日常となってしまったり、約束を交わした相手から無限に待たされる羽目になったりと、決して上手くいったとは言いがたい一年だったように思う。
ただ、毎日必ず日記を書くという習慣だけは、どんな状況においても欠かさず継続することができた。一つひとつの文章に大きな意味はないかもしれないが、課題として掲げたことを続けることができたという事実は、きっと次への自信に繋がることだろう。

 

一月から十二月まで、細かく回顧してみてもいいのだが、流石に年末の脱力気分で書いていくには時間と体力に不足を感じる。
そういうわけで、ここでは大まかに日々をどのように過ごし、何ができて何ができなかったのかを軽く省みる程度に留めておきたい。

まず、今年の私が最も時間と熱量を注いだ対象と言えば、わざわざ強調するまでもなく、競馬とウマ娘に他ならない。
ざっと遡ってみると、馬およびウマに関する記事が明らかに多いことからも、どれだけハマっていたのかがわかる。

競馬に関してはちょうど二年前の師走からスタートしたと言ってもよく、昨年も一年を通じて楽しんでいた覚えがある。
ただ、競馬に向き合う姿勢は確かに変わったのだ。気になっている馬が出るレースだけ見るのではなく、ほとんどのGⅠについて、場合によってはGⅡやGⅢにおいても事前に予想をして、リアルタイムで観戦した。
レース後にはレース展開や買い目について反省を繰り返し、ただ雰囲気を楽しむだけでなく、いくつかある競馬の本質に近づけたような気さえする。
結果的に大きく勝ててはいないけれど、総じて充実していたように思う。

また、競馬のモチベーションを高める要因として強烈な影響を与えていたのが、ウマ娘の存在だ。
昨年末にアニメ二期とゲームのリリースに関する情報が出たため、年明けの時点で興味は持っていた。もともとアニメ一期は未視聴だったけれど、好評だったことから関心はあったのだ。アニメ二期も面白いという感想が入ってきたこともあって、正月の余暇はウマ娘を見ることに費やした。
一期を見終えて、そのまま放送中の二期を毎週リアルタイムで楽しみにするようになる。そんな状況でリリースされたゲームには、ハマらないはずがなかった。そして後半に立て続けに展開される神回……コンテンツそのものに強いリスペクトの気持ちが湧き、いつしかゲームで遊ぶことは日常の一部となっていた。
現在でも続いている「トレーナー業」だが、ゲームを通じて様々な喜怒哀楽の感情を刺激されたように思う。ウマ娘に出会えて良かった。

 

さて、そこそこに趣味は満足のいく形で振り返ることができたけれど、一方で自らに課したミッションのうち、納得のいく進捗を迎えているものは少ないと言わざるを得ない。
最も問題なく達成できているのは上述したように日記という日課くらいのもので、その他のあらゆる「目標」は、客観視すればどう考えても未達と捉えることしかできないのだ。
もしこれが会社で与えられた仕事であるなら、年末年始の休みなど当然なく、延々と残業に追われるしかないだろう。なお、それでも絶対に捲れない程度には遅れが著しい。

もっとも、計画の段階で上手く軌道に乗れないパターンも考慮していた。今年一年まるまる遅れても大丈夫なくらいには、まだ余裕がある。
あまりにも膨大な時間を他の趣味に吸われてしまった点は想定外だったし、たとえば関わるはずだった案件が進まず集中力を発揮するためのリズムを作りづらかったことも少なからず遠因であるとは思うが、それでも来年という未来への望みが失われたわけではないのだ。
いくらでも、進める道は残されている。

抱負、と言えるほど大層なものではないかもしれないが、とりあえず来年の目指すべき姿について、簡単に示していこう。
何より肝要なのは、ペースを乱されないことだ。自分のリズムで物事に取り組む。具合が悪くて何もかもできない日もあれば、寝起きから絶好調の日もある。およそ一か月のうちに自身の具合は目まぐるしく変動するものだから、それを利用すればいい。一か月という単位で、その中でやりくりする。
金銭の管理と似たようなものかもしれない。

ということで、月末付近に一か月を省みる日記を書くことにしたい。今日の日記は一年の反省だけれど、それの月バージョンだ。毎月、必ず。
こんなことをやった、これだけのものを残した。ある程度の自信をもって、確実に成果を振り返れたら、その月は目標達成ということにする。
何か具体的な作業を目標にすると、もし気持ちが向かなかった時に停滞する可能性が高いのだが、その間に反省という過程を挟むことで、作業そのものの作業感を軽減できればいいと考えている。
より大きな、形のある目標を掲げるのは、一定のプロセスが日記と同様に日常に定着してからでも遅くはない。

 

それにしても、2020年になった時は強い近未来感を覚えたものだが、昨年そして今年の年末年始にはそういった意識が一切ないことに気づいた。
ご時世的な刺激の乏しさも影響しているのだろうし、年齢を重ねて相対的に時間経過の体感速度が短くなったのもあるだろう。
かつてのように、毎日を噛み締めて生きていくということが難しくなる頃合いなのかもしれない。

もう少し日頃の取り組みや環境に変化のある日々を過ごせたら、私の一年は全力で振り返るに相応しい時間となるだろうか。
一年後にどのような心境でいられるのか……それが今の新たな楽しみでもある。