K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

活動時間の収束

まとまった睡眠時間が正常に生きていくために必要であることは十分に理解しているつもりだが、たとえば多少の無理をした後に通常と変わらない睡眠で済ませれば、無理をした分だけ活動時間が増えるのではないかと思ったので、試してみた。
もともと生活リズムが狂っていたから可能だったところはあるけれど、一昨日から昨日にかけては一切の睡眠を取らず、昨日の日中には寝落ちしないように耐えて、夜は日付が変わる少し前に布団に入る。そして翌朝、普通に起きられたら成功ということになる。

 

先に書いておくと、この試みは盛大に失敗した。
なんとも身体は睡眠不足に厳格なようで、わりと早めに眠ったにもかかわらず、次に起きることができたのは夕方だった。
つまり、前日に不足していた分をそのまま補うかのごとく、たっぷり二日分の睡眠を連続して実行したのだった。驚異の睡眠欲の前に、理性はまるで歯が立たない。

一応、途中で何度か目覚めた記憶がある。
昨日の夜は日記を書くことには成功したけれど、連続覚醒時間が24時間を超えたあたりから、頭の働きはひどく低下していた。
だから普段とは異なり、布団に入ってから非常に短い時間でストレスを感じることなく睡眠状態に移行することができたように思う。
しかし、ある程度の睡眠が与えられたら、不足気味とはいえ身体に余裕が出てくるらしい。例によって早朝、隣人の止まらない目覚ましアラームによって一時的に睡眠が中断されることとなった。
もし、ここで起き上がることができていたら、やや時間は早いものの目論見は達成ということになる。現実には、まだ寝足りないという気分が圧倒的に優位であり、頭から布団を被って耳を塞ぎながら二度寝に突入したわけだが。

自らが設定した起床予定時刻付近になると、二度寝から覚めることになる。不思議なもので、自分のスマホを鳴らすことはなかった。
まだこんなにも眠いというのに、もう起きる時間なのか……と、会社員時代のことを思い出すような気持ちにさせられて、一度目の睡眠を妨げてきた隣人に対して、ますますネガティブな感情が積み重なっていくのを感じた。
こんな状態では、きっと満足に夜まで起きていることはできないだろう。意識の半分が眠りに奪われている状況では、より楽な方向へと傾きがちだ。
しばらくスマホを操作して脳が活発になるのを待っていたが、どうにも難しそうに感じられたため、そこからは躊躇なく、想定していなかった三度寝に突入することになる。

もう、中途半端に起きることはなかった。
あと少しで太陽が沈みそうな時刻になってようやく満たされたのか、徐々に眠りは浅くなり無数の夢を見た果てに、現実へと引き戻されることになる。
二度寝の終了から三度寝に入るまで若干の時間を要したとはいえ、その後は一晩を眠ったのと同じくらいの時間が経過していた。

二日分の活動を経て、二日分の睡眠を取る。どうやら眠れなかっただけ、身体は睡眠を欲するらしい。意味がなかった。
よく考えてみると、意味がないどころの話ではない。
だって、連続活動時間中の終盤は、頗るコンディションが低下するのだから。何をしていたのか細かく思い出せないくらいに、著しくパフォーマンスが落ちていたのだから。
しっかり睡眠を取ってフルパワーで活動していた場合と比べて、使える時間は変わらないというのに、睡眠欲に抗っている部分は損失しているに等しい。
結論としては、無理に起き続けていることにメリットは何もないということになる。

 

それにしても、体力のあった大学時代でさえ徹夜をしたら耐えきれない眠気の勢いに負けることが多かったのに、それから年数を重ねて体力低下が顕著に表れるようになった現在において、およそ29時間も眠らずにいられるとは思わなかった。
夕方に起きて、メインの活動時間帯が深夜になった日は、たいてい翌日の朝方から昼間にかけて力尽きるものだ。いつも、夜まで頑張ろうと思っても昼を過ぎた頃に限界を迎える。
なぜ、昨日は大丈夫だったのだろう。

まぁ理由は簡単で、昨日の日記に書いた某遊びが面白すぎたから、なのかもしれない。
集中して楽しめる作業は、明らかに生理的な感覚を麻痺させる。