K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

n度目の敗北

日常における「ありがちな失敗」としてよく書いている、食事と睡眠の問題なのだが、また上手くいかなかった。
体重を増やしたいと思いつつも、食事への関心の乏しさから栄養補給のための作業としか認識していないせいで、つい食べずに過ごしてしまう。
就寝時刻が毎日ランダムなのは別に構わないが、睡眠時間の長さもランダムなせいで、思い通りに予定を進められない。

 

人間不適合者の末路といった感じで、普通の人が自然な欲求に従って意識せずに実行できる通常の生命活動の一環を、今の私は頑張らないと実現できなくなっているような気がしてならない。

食事に関して言えば、一日三食はもはや不可能で、二食の日すら少なくなってきた。
寝起きに一食を摂るのは変わらないけれど、その後は何も食べずに活動してしまう。次に眠るまでには半日以上の時間が経過するというのに、何も口にしようとしない。
もちろん、間隔が空けば空腹感のようなものが生じることはある。こういう曖昧な言い方なのは、必ずしも腹が減るわけではないからなのだが、より問題なのは空腹感と食欲が乖離している点にある。
胃が空になったとしても、不思議と何かを食べたいと感じないのだ。昔はこんなおかしな身体ではなかったと思うのだけれど、今は食欲を喪失してしまったらしい。空腹の訴えに応じて食事へと向かう自然な流れが、私の内部では形成されなくなっている。
血糖値が下がりすぎて頭の働きが著しく低下したと認識できた場合のみ、生命の危機を覚えるのか知らないが、食べなければ……という観念に駆られることなくストレスの少ない食事へと移行できる。そうでなければ、ただの面倒な作業に過ぎないのだ。

睡眠に関して言えば、生活リズムなんてものは存在することができなくなってしまった。
目の前にある「やりたいこと」への熱中と、突発的に湧き出る強烈な睡眠欲、そして睡眠中に身体を支配する心地好さ……それらが目まぐるしく心身を襲ってくるせいで、もはや決まった時間に規則正しく眠ることは不可能に近くなっている。
他者の絡む約束事が予定されている場合のみ、外的強制力によって眠りの感覚を矯正することができるのだけれど、通常の日常においてそれは大変に困難な努力を要求されるため、無理をするメリットがデメリットを大幅に上回ると感じられない限り、一向に生活習慣が整う気配はない。

 

さて、本来なら買い出しに行かなければならなかった。今日の話ではない。昨日でも、一昨日でもないかもしれない。
家に置いてある食料や飲料の残りから計算すると、先週の金曜日に出かけるのがベストだったのだ。
それから三日間、上に書いたように少食が続いているためかろうじて生きてはいるけれど、そろそろ本当にピンチであると自覚しなければならない。

冷蔵庫を開けると、飲み物がほとんど残っていないことに気づく。常飲しているお茶は尽きて、嗜好品のコーヒーも消費し尽くし、あとは牛乳とトマトジュースが500ml程度しかない。
いざとなったら水道水が飲めるのは日本の良いところだけれど、流石にこれはマズいと判断せざるを得ないだろう。

冷蔵庫を開けると、食べ物がほとんど残っていないことに気づく。貴重なタンパク源である豆腐は先週末に食い尽くして、鶏卵も今日のうちに最後の一個を使い切った。
一方で、まだ箱買いしたフルグラが4kg近くあるし、パスタ1kgもある。食べるための牛乳には限りがあるし、パスタソースは残っていないから実質的な食料としてカウントしにくいけれど……冷凍庫には食パンが若干とハンバーグがあるから、一応ギリギリ生きていけそうなラインは確保できていると言ってもいい。

本当なら、今日は昼間にスーパへ向かうつもりだったのだ。
あまりにも眠すぎて、午後になった瞬間に布団の中に吸い込まれ、気づいたら日が暮れていたというだけの話であって、スケジュールの組み立て自体は間違っていなかった。
ただ、あまりにも腰が重すぎたのと、眠気が強烈すぎたのがいけない。食事を軽視するあまり、食料不足を大した問題と捉えていないのも生命体としての欠陥だろう。
明日だ。明日こそは……わざわざ日記にするかわからないけれど、冗談ではなく危機的状況なので、頑張って外に出ようと思う。