K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

一生食欲が出ない

よほど太っていない限りはカロリーを気にせずに食べたほうが精神衛生的には良いという話を聞くけれど、私の場合は逆の意味で気にしなければ健康を損ねる可能性がある。
己の欲求に従って食を進めようと思うと、基礎代謝程度の僅かなエネルギーすら満足に摂取できないかもしれないからだ。
あまりにも腹が減らない。ちょっと食べたら満たされてしまう。仮に空腹感を覚えることがあったとしても、その有効時間は一瞬しか継続しない。
だから、どうしたって体重を維持するためには、これまでに何カロリー食べていて、あとどれくらい食べなければならないのか、という計算が必要となる。

 

本当は体重の維持ではなく、少しずつ健康体に近づくために増やしていきたいという気持ちがあるのだけれど、現状の生活を続けていたら非常に困難であるということが、ここ数か月の経験から判明した。
ただでさえ怠け癖の塊のような性格であるのに、関心のない食事に割ける活力なんて存在するはずもないのだ。ちょっと面倒だと思ったら平気で一食を削ることができるし、たまに頑張って食べる量を増やしても、胃腸が弱くてすぐに下してしまうのだから意味がない。
体重の記録を付けるようになってから知ったのは、1kgを増やすのは1kgを減らすよりも難しいということだった。

秋になれば話は変わってくるかもしれないけれど、基本的に暑い季節は食欲が減退しやすい。
習慣として、私は起床したらすぐに何かを食べるわけだけれど、その次の食事までの時間が、おそらく一般人よりも圧倒的に長い。
たとえば午前中、8時頃に朝食を摂取したとして、次に食事のことを考えるのは、だいたい午後になってから。14時か15時か、あるいは16時になってようやく、何か食おうかなと考えるようになる。
14時台であれば、まだ一日三食を達成することはできるけれど、夕方になってしまうと食事の時間が気持ち悪いことになるので、夕飯に適した時間になるまで待つことも珍しくない。
普通は、それくらい間隔を空けてしまうと空腹を我慢できなくなるのだろうが、私の場合は我慢できてしまう。というより、我慢しているという感覚すらなくて、面倒事を先延ばしにしていると言ったほうが近いくらいだ。

そんなわけで、このところすっかりと一日に二食の生活に戻ってきてしまったので、摂取エネルギーの調整をするのが難しくなっているという問題がある。
それなりに腹が満たされる基準として、だいたい500kcalくらいが目安となっているのだが、一日三食であれば基礎代謝を少し超えるくらいでちょうどいい。一方で二食が前提となると700〜800kcal程度まで増やす必要があって、これが個人的には難しいというか、苦しいという話だ。
腹八分目という言葉があるが、500kcalがそれに該当するのだとしたら、必要となる1.5倍は許容量の120%ということになる。まぁ実際にはそんな極端なものではないから、食べようと思えば余裕で入るわけだけれど、もう少し長期的に捉えるなら、いつも満腹を目指して食事と向き合うモチベーションなんて湧いてくるはずもない。
結局、摂取量が基礎代謝を下回る日が週に何度か発生してしまうせいで、多少の体重増加なんて容易く無に帰すだけでなく、気を抜いているとみるみるうちに減量してしまうから、困った性格と体質だ。

 

食が幸せの源という人間は、本当に幸せだと思う。食事という生命の基本的動作をこなすだけで幸福感が得られるのだから、それはもう才能なのだ。
私はたいていの食事が億劫で、別に食い物を前にしたらそれを食べること自体はなんでもないのだけれど、そのために金をかけたり時間を取られたり、諸々の側面について考えるとネガティブになってしまうものだから、ただ生きているだけでは不幸になっていく一方だ。これはもう、人生におけるアド損でしかない。

こういう感覚は物心がつく前から培われてきたものだろうし、いまさら食事大好き人間になろうとするのは無理筋なので、あとはもう極力、ストレスを感じないように、お手軽に栄養を取れる方法を模索するしかないのだろう。
十年以上前から思っていることだけれど、た った一錠で生命活動に必要なすべてのエネルギーが摂取できるサプリメントが発明されたら、どれだけ気が楽になるだろう。