K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

意外な救い

チャンミ予選の度重なる運ゲーに心が荒んでしまったので、何か気分転換にならないかとTwitterを適当に眺めていたところ、予想外の癒やしを手に入れることができたので書いておきたい。
いつもの日記ほどたくさん書ける気はしないのだけれど、他の話題について考えるのも気が進まないというか、どちらかというとネガティブな気持ちになりそうなので、今日は私にとって明るい話にしたいと思ったのだ。

 

タイトルの通り、それはまさに救いだった。
私は以前から、動物系の動画を見て癒やしを得ている人間の心理が理解できなかったのだけれど、ようやく自ら似たような形で幸福感に浸れたような気がする。
特定の物事を見て嫌なことを忘れる……そういう、ひょっとすると誰しもが日常的に求めがちなストレス解消のプロセスを、初めて経験することができた。

ちなみに、現象の大枠が似ているというだけであって、実際に動物関連の動画を見たわけではない。しかも動画ですらなく、ただの画像だ。
具体的に説明するのは難しい、というより恥ずかしい気持ちに近いのだけれど、言ってしまえば、どこかの知らない中年のオッサンが訪れた店や旅先のシーン、その日に食べたものなどを「ねんどろいど」とともに撮影している……そんな和やかな写真の数々だった。

フィギュアやアクリルキーホルダーなどを使って同様の写真を撮っている人、それをTwitterにアップロードしている人も、たくさん存在するだろう。
ただ、数ある「かわいい」ミニチュアのアイテムとしては、ねんどろいどの適性は非常に高いのではないかと思う。
別にシチュエーションを指定せずとも、ねんどろいどには絶対的な「かわいさ」が備わっていると思うのだが、あれは顔を換装することで表情を変えられる上に種類が多いので、その場その場に合わせた絵を作ることが可能なのだろう。
見つけたアカウントは、本当に偶然、何かの検索ワードから引っかかっただけだったのだけれど、ちょっと興味を持って過去にアップロードされていたwithあんどろいど画像をスクロールさせ見ていくと、不思議なほどに心の膿が洗浄された。
ああ、かわいい。
それだけで十分なのだ。人は、己の心に刺さるものを目にすると、無条件に幸福感を得ることができるのかもしれない。

その人が普段から何をしていて、どういう性格で、画像以外のツイートではどんな発信をしているのか、私はまったく気にならない。どうでもいい。
わざわざ監視しようとも思わないし、これは一期一会の素敵な出会いとして思い出にしまうことにする。きっと、一週間後には忘れていることだろう。
あの人は、今夜この時において私にささやかな癒やしを提供してくれた。それだけの出来事に過ぎないのだ。ただ、時間の経過で記憶から忘却されてしまうのも少し惜しいから、この貴重な経験を記録しておこうという気持ちで、今これを書いている。

 

この幸せは長続きするものではない。
そもそも幸せの感情なんて、何かしらの自分にとってプラスになる出来事が発生した時点を頂点に、下降を続けていくものだ。
まぁネガティブな感情にも同様のことが言えるが、一晩もすれば心の状態は普段の平均に近いところまで落ち着くに違いない。

しかし、同時に思うのだ。儚い幸福感だからと軽視するのは、長い目で見ると損なのではないかと。
このような気持ちになるのは、久しぶりのことだった。そして、頗る気分が良い。
相変わらず、猫などの小動物を見たところで心は動かないけれど、私の性分に合う癒やし要素であれば、定期的に取り入れてもいいのではないかという気になった。