K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

一日32時間

どうも私が抱えている生活リズムに関する問題は、一日が24時間であることに原因があるのではないか……そんなことを考え始めた。
昨日の今日で元通りの時間に寝起きできるとは思っていなかったけれど、ここまで身体が歪んだリズムを求めているとは、想像が足りていなかったかもしれない。

 

昨日は13時台の後半に起きて、就寝したのが翌朝の9時台後半だった。要するに、連続起床時間が20時間くらいになったわけだけれど、これは体力満タンから眠気を感じることのできる妥当な間隔のような気がする。
6時間や7時間程度の睡眠なら、パフォーマンスを保ったまま起きていられる長さは16時間前後だろうから、24時間で一周という形で辻褄が合うようになる。ただ、一昨日からの流れで、今朝の私はある程度の持続力を発揮できるようになっていたため、早朝に布団へ向かう気にならなかったのだ。

9時を過ぎて、そろそろ眠ったほうがいいと思った。午後にはスーパーへ行かないと食料が足りなくなりそうだし、15時くらいに起きられればいい。甘い考えだった。
途中で何度か目を覚ましたことは記憶にあるけれど、どうしても起きなければならない、あるいは起きたい、といった気持ちが欠けていたのだろう、二度寝三度寝の沼にズブズブとハマっていくことになってしまったのだ。
次に時計を見た瞬間、本当に驚いた。だって、とっくに21時を過ぎていたのだから。

睡眠時間自体は、昨日と変わらずほとんど半日の12時間……というわけで、連日のように長時間の睡眠を実行できたのは、健康面を考慮すると悪いことではない。
しかし、代償として予定の実現に至らなかったことは確実な痛手であり、明日には必ず買い出しに……もし何かあって無理だったとしても、明後日には必ず遂行しなければならなくなった。
最悪、食べ物については一週間程度ならどうにでもなるし、飲み物は水道水を頼る手もある。けれど、それではあまりにも生活水準を落としすぎることになってしまうだろう。
今でも世間一般の標準と比較したら、半分以下のコストでギリギリのラインを攻めているわけで、流石にこだわりのない私といえども、ここで無理をする意味を感じないのだ。
簡単な話で、普通に日中、買い物に出ればいいだけなのだから、できなかった時の心配をする必要なんて本来ないはずだろう。

 

それはそれとして、連日の12時間睡眠で溜め込んだ疲労はスッキリした感覚がある。
とはいえ、元気が有り余ってなんでもできるような万能感はなく、どちらかと言えば寝すぎた気怠さのようなものを、そこはかとなく感じる。
寝起きから数時間は、まだ頭が完全に覚醒しきっておらず、思考能力であったりモチベーションであったり、なかなか思うように上がってこないことは経験上よくある話なので、特に自身の状態を不安視しているわけではないけれど、それにしてもたっぷり眠ったわりに調子が絶好調にならないとなれば、長すぎる睡眠のコスパは微妙と言わざるを得ない。

まぁ身体が欲するままに、自然な形で睡眠状態へと移れるまで待っていたら、20時間起床の12時間睡眠くらいの間隔が体内時計に合ってはいそうだから、予定のない日に関しては今後も試してみようとは思った。
あいにく、明日はスーパーへ、明後日は映画館へ、明々後日は歯医者へ、とスケジュールが埋まっているため、どこかで時間を動かさなければならないだろう。
このままだと、午前中に頑張って眠るか、午後に予定の消化を終えるまで頑張って起きているかの二択になる。今はまだ副交感神経優位だから、寝ようと思えば……という気分だけれど、交感神経が優位になり身体が活動モードに入ると簡単ではなくなるから、結局は身体の具合次第ということになりそうだ。
何時に眠らなければ、という意識は基本的に好ましいものではない。