K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

人間嫌い

人と会わない生活をするようになるまで気づかなかったことなのだが、どうやら私は人間が嫌いらしい。
考えてみれば当然の話で、もし人間が好きなのであればもっと社交性に富んだ人間性を獲得できているはずなのだ。たとえば、知人との交流に躊躇なんてなく、休日には友人と遊ぶことを基本とする。
それとは真逆の生き様こそ最も好む私が、人を好きなはずがなかった。

 

大学時代に付き合いのあった知人たちとの数少ない接点となっているLINEグループがあるのだが、今月に入ってから半年以上ぶりに動きがあった。
用件を端的に言い表すと、久々の飲みの誘いだったわけだけれど……まったく行く気にならなかった。
思い返すと学生時代には、この手の集まりには積極的に参加しようとMPを消費する日々だった。それは、学生時代という人生において最も活動的になれるポテンシャルに満ちた期間の、貴重な対人交流機会だったからだ。
しかしながら卒業して以降、やや関係が疎遠になってからは企画自体が減ったこともあるけれど、私自身の行動力は低下する一方で……一時期を共に過ごした仲の良い相手であっても、少しずつ他人めいてくる。当時、コツコツと稼いでいた友好度のようなものが、会わない時間が経過するに従って減少していくイメージだ。
今では、もはや誰も「友人」とは思えなくなってしまった。

誰とも会わず、誰とも話さず、それでいて精神状態は極めて安定している。おそらく、通常の社会生活を送っている人間からしたら、性格によっては発狂したくなるくらい我慢ならない環境であるはずなのだが、むしろ私の場合は、毎日のように誰かと会わなければならなかった頃と比べて、ストレスの大幅な減少を露骨に自覚できている。
たまに外出しなければならない日、特に人間とのコミュニケーションが求められる日には大きなプレッシャーを感じるし、たとえ何事もなく目的を果たせるにしても、一日の終わりに感じている疲労感は他の平凡な日常とは比べものならない。

隣人が昼夜を問わず騒がしくしていること自体は、本人の非常識かつ下等な人格によるものだと思うのだが、それはそれとして四六時中、誰かと話していないと気が済まないように思われる生活スタイルには、甚だ疑問を感じざるを得ない。
一週間のうち半分ほどは友人や恋人などを自宅に招いているし、そうでない時間には延々と通話している。流石にこれは極端な例だと思うのだが、どうにも会話のない日が耐えられない人間というのは存在しているらしい。
そんな頻繁に会って、絶えず連絡を繰り返していて、いったい何を話すというのだろうか。
たまに会うからこそ話題というのはアレコレ発展していくものであって、不断に消化していったら弾がなくなると思うのだが……本当に何が面白いのか理解できない。

 

こういう世の中だから、人と会わなくても生きていくことはできる。生まれた時代が現代でよかった。現代でなければ無理矢理にでも社交性を身につけていた可能性は否定しないけれど、性格の本質は環境よりも生まれつきの占める部分が大きいと考えているタイプなので、やはり現代でなければ諸々の点で生きづらさが障害となっていたに違いない。
まぁ現代であっても、もはや真っ当で平均的な、ありふれた形の人生を歩むことは難しくなっているわけだが……ある意味で願ったり叶ったりではあるから、その点に関してネガティブになることはない。

それにしても、あまりにも世の中の人間と噛み合う部分が少なくなってきているので、いざ外に出なければならないシーンがやってきた時には、若干の苦労を経験しそうな気がしてならない。
我ながら器用な人間ではあるから、単発のイベントなら問題なくこなせるだろう。しかし、中長期的な活動が要求されるとなると、どこかで絶対に無理が生じる。
今のところ、そんな状況に追い込まれる可能性は低いから、緻密に備えておく必要性は感じないが……想像は無限にできてしまうから、やや怖さを感じないこともない。
外の世界は本当に恐ろしいものだ。