K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

髪色の変化

特に外見を気にすることのない私ではあるが、それは外で人と会う機会が少なく、見られる自己のクオリティを高める意味を感じないからというのが、最も大きな理由だと思っている。
しかし、自身の姿は日々欠かさず鏡を通じて確認しているわけであって、そこに変化を認めるようであれば当然のことながら「変わった」と感じるし、多かれ少なかれポジティブあるいはネガティブな感情を抱くに違いない。

 

起きたら別人になっていた、なんてことがない限り、基本的には変化に気づくことなんてない。
ただ、細かく注目していなかった箇所にたまたま焦点を当てたら、知っている私の性質とは異なる状態になっていた……なんてことは、まぁ年齢を重ねていけば珍しいことでもないだろう。
そういう意味で、ここ半年ほどの間に髪色が若干ではあるが変わったような気がしている。

もともと若白髪の目立つ頭だった。
二十歳を超えたあたりから、よく見るとポツポツと白髪が生えていることに気づいた。親も比較的、若い時期から白髪があったという話を聞いていたから遺伝的な特徴かもしれないけれど、私の栄養状態や生活習慣が作用していた可能性も否めない。
ともあれ、まだまだ量としては少なかったから遠目ではわからなかったし、若白髪それ自体を悩みとして捉えたことは特になかった。
それから年々、白髪の本数は増え続けるものの、いまだに全体が真っ白になるわけではなく、よく見ると白い毛が混じっているという印象に留まるため、今のところは髪色に関するメンテナンスを行おうという動機は不十分なままとなっている。

私が着飾ることに興味のあるタイプの活発な人間なら、白髪染めというよりはファッション目的で染めることもあったかもしれない。
あいにく、その手の行為は私の人生には不要だと考えているため、生まれてこの方、髪の色に手を加えるということには無縁だった。
いくら白髪が生えてこようが、気にする必要なんてない。露骨に目立ち始め、親に嫌な顔をされるようになったら考える。それくらいの感覚で十分だろう。

そんなスタンスだったから、最近の変化には多少、戸惑った。何があったかというと、髪が白ではなく、いつの間にか茶髪になっていたのだ。
依然として白髪はある。変わったのは黒かったはずの大部分で、その大半が茶髪に置き換わっているように見える。
わかりやすい変化ではない。鏡に映る私の毛髪を至近距離で眺めている時、光の当たり具合によって、そのように見えるというだけの些細な話ではある。
ただ、数年前までは感じたことのない事象だから気のせいではないはずで、確かに変わっていると考える。この数年間で痩せに拍車がかかったこともあるし、しばらく会っていない知人と再会したら、その変化に驚かれるかもしれない。

髪色が変わる原因について調べてみたところ、あまり良い話は出てこなかった。
というのも、考えられる可能性として挙げられていたのが、ストレス・睡眠不足・栄養不足・加齢、といったマイナスイメージの強いものばかりだったからだ。
そして、いずれも自覚がないわけではない。
ストレスについては相対的に見て少ないほうだとは思うけれど、睡眠は十分な質を確保できないことのほうが多いし、栄養が足りていないのは食事の優先度が人類最低であることから否定しようがなく、生きている限りは年齢の増加と衰えからは逃れられない。
対策としては、せいぜい十分な食事と運動と睡眠という本質的な健康志向を目指すくらいのものであって、それが満たされたとしても元通りになる保証はないのだから、素直に受け入れたほうが楽というものだろう。

生活を改善したほうがいいのは確かな事実だが、それはそれとして、髪色が変化したところで私のアイデンティティが崩壊するわけではない。
茶髪にせよ白髪にせよ、どんな姿でも私は私なのだから。

 

面倒くさがりの私のことだから、髪色の変化が進んで誰の目にも明らかになったとしても、染めるようになるか定かではない。
今後の人生で見た目が重視されるシチュエーションに身を置く可能性は低いだろうし、何より一度でも染めてしまうと定期的に上書きしなければ違和感のある頭になってしまうだろうから、手間や維持費を考えると気が進まないのだ。

自己管理を怠っているという風に思われるかもしれないことが、明らかに私の不利益となりそうな場合を除いて、はたして染めることがあるのだろうか。
興味本位で染めてみようとすら思わないのだから、あらためて本当にどうでもいい事柄なのだろう。