K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

あらためて考える体質と体型の話

運動を再開すれば空腹になりやすくなって、食事の量や機会が増えるに違いない……と思っていたのだが、今のところ変化は感じない。
朝から外出して一定の体力を使う生活を送っていたら、ひょっとしたら昼過ぎには食事を欲するようになるかもしれない。実際、数年前まではそういう習慣で大きな不都合なく回っているところはあった。
しかし、そもそも体質が変わっているのだ。まとまったエネルギーの経口補給を欠かさずに実施しなくても、生命維持に必要な最低限さえ摂っていれば平然としていられる。一般的な理を外れてしまった感が否めない。

 

運動とは言っても、週に一度か二度、深夜に6km程度をハイスピードで歩くだけであって、たとえば通勤通学に片道30分〜90分ほど費やしていた頃と比べたら、総運動量は大したことがないだろう。
昔から休日はほとんど在宅のタイプだったので平日での比較になるけれど、現在の唯一に近い運動行為であるウォーキングの負荷を100とすると、ごく当たり前の社会生活で求められる体力の使用量は、おおよそ一週間につき400〜600くらいはあると思う。
運動というのは短時間のうちに極めて苦しい体験をするため、かなりのハードワークだと感じてしまいがちだが、体力を数値化して考えてみると、一般人が日常的に経験する他愛ない負荷の合計値のほうが圧倒的に大きいはずなのだ。
「普通の人」にとっては、わざわざ運動するまでもなく健康体なんてものは維持できる。

それでは私が「普通」だったことがあったかというと、実のところ物心がついて以降、一度でもそんな時期があったのか、まったく自信が持てない。
これは体力だとか体型、体質について論じている文脈になるが、幼少期から私は身長・体重ともに平均値を上回ることはなかったし、いわゆる成長期も存在しなかった。
小学生の時は身長順に並べば必ず前から三人以内にはいたし、成人するまでの期間においても一気に背が伸びることはなく、ジワジワと少しずつ大きくなっているような感じが長く続いていただけで、家族や親戚を含め定期的に私と会っていた人間は、私の成長というものを客観的に観測することが非常に困難だったはずだ。
いつまでも小さいし、痩せている。会う度に、もっと食べろと言われたものだった。

大して成長しない成長期を通過して結果的に到達したのは、微妙に平均には届かない身長と、病的な痩せ型と判定されかねない体重だった。
もともと身長比でもかなり軽いほうで、最も重かったタイミングでさえBMIで言うと17前後がやっとという体型だったから、私は標準体重の世界を知らない。
低体重のデメリットとして、体力がなくて疲れやすい、といった特徴が挙げられることが多いけれど、この超絶デバフ状態が私の標準なのだ。
世の中の普通の人間が使える体力の総量がどの程度のものなのか、あるいは一日に頑張れる行動量がどれほどなのか、私にはリアリティの伴った感覚が一切ない。
たとえば朝から活動しているとしたら、午後に入って夕方に近づくにつれ、まだ周囲の人間が平気で動けているにもかかわらず、私は今にも倒れそうな疲労感に包まれていく……それを表に出すわけにはいかないから我慢するしかなかったのだけれど、そのような悩みは日常茶飯事だった。単に、私がだらしない人間だと錯覚した時期もあったが、よくよく考えてみれば体力がなかったのだ。
外見からはわからない、けれど長い目で見ると着実に物事の影響に結果を及ぼすようなハンデを私は背負っていたことになる。これでは、生きづらいのも当然と言えるだろう。

コロナ禍になって在宅時間が増えたせいで、運動量は著しく減少した。もともと太っている人間にとっては、より肥えるチャンスを与えられているようなものなのかもしれないけれど、油断していると痩せてしまう体質の私からすれば、一方的に筋肉を失うだけの期間に過ぎなかった。
昨年くらいに、体重は底を打った。もう、これ以上は断食でもしなければ減らせないであろう限界値だ。
BMIにすると15を下回る。食後など時間帯によって前後するため、常時14台というわけではないものの、いずれにしろマズいことに変わりはない。
流石に痩せすぎてしまっていて、他人に体重を問われてもストレートに回答するのは躊躇うようになった。想像よりも5kgくらい軽いはずだよ、と適当に誤魔化すくらいしかできない。

このままでは長く健康体で生きることはできないだろう、と薄々感じてはいるのだけれど、正直なところ詰んでいる気がする。というのも、一度たりとも標準体型だった時代がないため、健康的に体重を増やす方法を知らないのだ。
はたして、私の体質に合う増量法なんて存在するのだろうか。
「たくさん食べろ」と言われても、それが正解とは思えない。だって無理をして食べても、胃腸がそのように出来ていないから、期待した形で栄養を吸収することはできないのだから。
この体力がないという圧倒的ディスアドバンテージを抱えたまま生きることを受け入れるのならば、当分は気楽に生きられるとは思う。毎日、無理のない量だけ食べていれば、ここから減ることはないわけだし。もっとも、増えもしないが。

 

せめてもの抵抗として、足腰が弱らないように定期的な散歩は続けなければならない。
先々週末から昨秋ぶりに再開した運動の習慣は、苦手な冬が到来するまでは続けることができる。それまでに体格が大きく変わるとは思えないけれど、見た目にはわからない体力の増加に繋がることを願いたい。
なお、初回が貧弱な肉体に無理を強いる形になってボロボロすぎたため変化が明らかなのだけれど、ここまで順調に、回数を重ねる度に散歩のパフォーマンスは向上している。
大して肉がないため、休んでいたからといって弛んでいたわけではないのだろうが、運動の効果によって心なしか少しだけ筋肉が戻って、全身が締まったような気がしないでもない。

それにしても太りたいはずなのに、やっていることはダイエットしたい人よりも脂肪を燃焼させることに特化した運動という矛盾……しかし、まず大事なのは歩けなくならないようにすることなので、体力も筋力も持久力もない私にできる唯一の運動は、今のところウォーキングくらいしかない。