K's Graffiti

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一過性の娯楽として

冬以外のシーズンは毎日のようにプロの試合が開催されているし、今年は春先にWBCで盛り上がったように、日本人は野球という競技に触れる機会が多い。主語が大きすぎるかもしれないが、たとえ興味がなくとも日常的に野球関連のニュースを目にする可能性が高いという意味で、やはり国民的競技なのだ。
私も、今でこそ野球に対して強い関心を示しているわけではないが、アクセスできる娯楽の少なかった学生時代には、頻繁に野球中継を楽しんだものだった。
当時の中堅選手たちがコーチや監督となっているのを見ると、なんだか感慨深く思う。

 

見なくなった理由は、時間がなくなったから、他の分野に興味が移ったから、ということでネガティブなものではないのだけれど、まぁ結局は暇潰しだったのだろう。
野球にまつわる情報収集が減っていくにつれて、自然とモチベーションそのものが消失していった。もはや、あらためて腰を上げて野球を観戦しようなどとは考えられない。
よく活躍を見ていた選手たちが、いつの間にか引退している。たまにスポーツニュースで流れてくる野球の映像を確認しても、そこで動いている選手の大半を私は知らない。
特定の球団を支持しているというのであれば、別に選手を知らなくともチームの勝ち負けだけで楽しめる部分はあるだろうが、どちらかと言えば、私は気に入った選手のパフォーマンスを目的に観戦するタイプだった。
好きな選手がヒットを打ったり、あるいは完封したりするのを見るのが面白い。現在で言うと、誰もが大谷選手の一挙手一投足に注目していることからも明らかなように、特定の選手を主体に据えた野球観戦のスタイルは珍しいものではない。
そういうわけで、見なくなってから数年も経てば、何を目当てにすればいいのかわからなくなった。

プロ野球を趣味にするとなると、ある球団への熱意や継続的な視聴が求められる。もちろん、好きな人はそれが当たり前のルーティーンだから、特に意識する必要なんてないだろう。
ただ、しばらく距離を置いてみると、野球ファンに復帰するハードルの高さはどうしても感じてしまう。何か、強烈な契機でもない限りは難しそうに思えてならない。
こうした、私のような野球に熱心というわけではないカジュアルな層が、再び野球というコンテンツに接する機会を作るとなると、おそらくプロ野球のような定期的な試合よりは、非常に限定的な興行のほうが効果的だ。
WBCなんかはその極端な例だが、ただ毎年やっているわけではないから、次を待つとなると気が遠くなる。かつてイチローを追っていた時のように大谷の活躍に期待するのも悪くはないけれど、彼のパフォーマンスだって常に一定というわけではないし、ほとんどがホームランの切り抜きばかりなのも正直どうかと思う。それだけで野球(ベースボール)を楽しんだ気になるのは、なんだか申し訳ない。

なるべく固有名詞を排除して、野球そのものの熱さを雰囲気だけでいいから味わいたい。ふと、そんな需要に合致する存在があることに気づいた。
甲子園だ。
毎年、全国の高校生が汗水を垂らして練習した成果を見せつける晴れ舞台。まだ成長途上の彼らは体格的にも不十分で、決して優れた技術を持っているわけではなく、極めて限られた環境と運の導きによって、ただひたすらに泥臭い野球を展開する。
私が幼い頃に見たそれは「大きなお兄さんたちの真剣勝負」だったわけだけれど、年齢を重ねた今になって客観的に判断すると、まだ狭い世界しか知らないガキと言っていい。能力的な意味ではプロの試合で見られる動きには到底及ばないし、物足りない。しかし不思議なもので、プロにはない独特の熱意がある。
これはまさに、純粋な「野球」を刹那的に楽しむことを目的にするなら誂え向きと言えるだろう。

数日前から甲子園球場で始まった本大会だが、中継の一部を軽く覗いた感想を述べると、とにかく若々しいという一言に尽きると思った。
私にも、あんな時期があったのだろうか。おそらく、なかったような気がする。昔から身体は小さかったし、何より細かった。内向的で人間嫌い、自宅が大好きで体力に乏しい私が、大衆の前で伸び伸びと運動する世界線なんて……きっと、どの選択肢からも辿り着けないルートだろう。
適切な性格と能力を得られるように生まれ育って、よき指導者や同期と巡り会い、幸運にも地方大会を突破する。僅かな確率だ。
その上で、一度でも負けたら終わりという残酷な試合を何度も積み重ねていくのだ。そこで味わえる達成感や絶望感は、どれだけ美味しいのか想像がつかない。まだ未熟な彼らが、そんな強すぎる刺激と出会ってしまうなんて……なんだか、とても罪深いものを見ている気分になる。

野球は投手、なんていう風に言われることもあるが、プロと比べて低レベルな高校野球においては、その傾向がより強い。
守備力、と言い換えてもいいかもしれないが、とにかく強豪校は簡単に点を取られないのだ。
地方大会では顕著なのだろうが、弱小校は飛んでくるボールを適切に処理できないため、エラーを連発することになる。エラーにならなくとも、捕球に手間取ったり送球が遅かったりして余計な進塁を許してしまう。もし最強のピッチャーがいれば全員を三振に打ち取ればいいわけだが、そんな漫画の登場人物みたいな選手が都合よく弱小校にいるはずもないので、弱いところは順当にボコボコにされるだけなのだ。
勝ち上がって甲子園に出てくるくらいになると、流石に最低限の水準は確保される。さらに上位校同士の試合になると、プロ顔負けの投手戦が発生することもあるから面白い。
ここにきてようやく、打力が重要になってくるわけだけれど、書いてきたように高校野球というのは全体の守備レベルが低いだけあって、あまり打率が参考にならないという問題がある。
プロなら3割あれば一流だが、高校野球では4割5割でも驚かない。総当たりならともかく、現実にはクジ運で決まるトーナメントであり、対戦相手のレベルが一定でないから打者成績は参考程度にしかならないだろう。
プロのスカウトも注目する舞台ではあるが、投手の力は見ていたらなんとなく掴めるけれど、打者に関しては何を根拠に評価するのか、ちょっと疑問に思った。

 

今年は、どうやら有力校の予選敗退が複数あって波乱模様らしい。前評判では優勝候補だった高校が不在となると、逆に面白いのだろうか。
私は特定の学校を応援しているわけではなく、なんとなく野球が見たいだけなので、どこが勝ってもいいと思っている。プロになる前の洗練されていない野球少年たちの姿は、美しく尊いものだ。名も知らぬ彼らが懸命に勝利を争う姿が見られれば、それで十分に満足できると思う。

以前は、わざわざレベルの低い甲子園を見る意味がわからなかった。ハイレベルな試合が見たいなら、プロ野球メジャーリーグを見ればいいからだ。
違う、そうではない。
ひと夏で完結する物語だからこそ、甲子園には特有の魅力があるのだ。そんな単純なことに気づく、今年の夏だった。いや、夏はまだ始まったばかりだ。