K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20230914)

己のことを内向的でコミュ障の傾向があるという風に評価するようになって久しいけれど、実のところ微妙に実態とは合っていないのかもしれない。他人との関わりが億劫で、ともすれば引きこもりがちな私の行動パターンを細かく分析していくと、どうにも「顔の見えない相手」を必要以上に忌避しているのではいかという結論に行きつく。
たとえば外で他人と会ったとして、私はその場でのコミュニケーションに困るということがあまりない。もちろん、内向的な性格に変わりはないため積極的に会話を盛り上げようという気概は生まれないけれど、極端に会話が噛み合わなかったり、急に吃ったりすることはないのだ。
私が最も積極性を失う場面はどこだろうと思索を巡らせてみると、いくつか思い浮かぶケースはあるのだが、いずれも相手との対面状態ではないことに気がついた。電話が嫌いなのもそうだし、SNSに前向きになれないのも、ここに原因があるのではないかと考えられる。あまり家から出たくないという気質も、外で誰と会って話すことになるのか完璧に想定することができず気後れしてしまうから、なのかもしれない。
要するに、顔の見えない、顔色の窺えない相手と意思疎通を図るということが、私は何よりも苦手なのだ。目の前にいる人間に対して恐れることは何もない。ただ、直接観測できないというだけで一気に、自身の中にある消極性が極みに達してしまう。
これは生まれてから現在までの、長年の経験が積み重なって熟しきった性格の話だから、問題点が判明したところで早々に解決に至ることはないだろう。こうした弱点がある。それを知ることで今後の対人接触において不便を減らせることはあるだろうが、別の人間に生まれ変わりでもしない限りは、常に一定の生きづらさ、制限を受け続けることになる。
一人の人間が抱える根本的な課題というのは、程度によっては改善を目指すよりも諦めたり受け入れたりして、死ぬまで付き合っていく必要があるのかもしれない。