K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240316)

先週末に書いた、某ゲーム配信の続きが行われていたので、軽く覗いてみることにしたのだけれど……結論から言うと非常に後悔した。
初回の時点で勘違いが甚だしく、ゲームセンスに対して知能の低さが垣間見える配信だったから心配ではあったのだが、案の定そのまま悪い方向に突き進んでいるようだった。常に自らを称賛する信者に囲まれてばかりだと、明確な誤謬の指摘をフラットに受け取れなくなるらしい。善意からのアドバイスでさえ自身の否定に違いないという歪んだ認識の果てに、意地でも間違いを認めようとしないスタイルには思わず驚いてしまった。
序盤においては効果の薄い項目に対して貴重なリソースを割いていって、それで強くなったと思い込んでいる様子がもう、見ていられない。おかしいと感じないのだろうか。いや、感じないのだろうな。確かに誤解しやすい表記になっているゲームシステムにも問題はあるのだが、ゲームに詳しい人間が見たら十中八九、縛りプレイとしか思えない進行内容であり、これではこの先、どう考えても本来の難易度以上に苦戦すること必至というものだ。
各項目について詳細を確認することなく、言葉の印象だけで決定していく思考回路そのものが理解できない私は、つい口を出してしまった。いくら初心者としての新鮮な体験を重視するにしても、これでは今後ゲームを楽しめない可能性が明らかに高い。まぁ別に頭の悪い配信者が、その頭の悪さゆえに行き詰まって困ろうとも私にはどうでもいいことなのだが、その他のエアプコメントも含めた配信の内容全般が、そのゲームを好きな人間からするとストレスの塊でしかなかったのだ。この点に関しては、さっさとブラウザバックすべきだったと反省している。
いやはや、それにしても群がるコメントの大半は配信者の言動を全力で支持するものばかりで、これほどに誰もが盲目的なコミュニティが存在するということに恐怖を覚えた。グロテスクすぎる。なんて悍ましい光景なんだ。配信者と視聴者の関係性は、狭いほど距離が近いほど流動性に乏しくなり、一定の雰囲気に支配されやすくなる特性がある。全肯定することだけが有意義とは考えられない私のような存在は、その空気から浮いてしまうのもやむを得ない。
結局のところ、配信で他人のゲームプレイを楽しもうとするのであれば、一定の人気というか、大衆感のような要素が必要なのかもしれない。器の大きさとも言い換えることができるけれど、ごく少数のファンに支えられているレベルの小規模配信者では、どうしても提供できるコンテンツの質に限度がある。あるいは、その程度の魅力しかないから人気を得づらいのかもしれない。本当に、不憫で仕方ない。