K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

快楽の端緒

家にいる時間が長いせいか、運動不足のせいか、無駄にエネルギーが有り余っているのかもしれない。このところ性欲のレベルが上がったような気がする。そんなつもりはないのに、疲れるとわかっているのに、刺激を欲してしまうのだ。
まるで十代の、最も元気だった頃に戻ったようだ。いったい、どうしたというのだろう。

内容的にお蔵入りにしてしまおうかとも思ったが、私が書きたいように書くという方針なので、特に躊躇せず綴ることにした。こういうの一度文字に起こしてみたかったんだ。

 

 

その行為が性的なものだと知るのは随分と後になってからのことだったのだけど、私は小学校低学年の頃から絶頂の感覚を知っていた。
きっかけは、なんだったろうか。たまたま発見したような気がする。朧気だが、特別なエピソードがあったようには思えないから、きっと偶然だったのだろう。
両太腿を交差させて間に挟み、圧迫してみる。すると、何やら気持ちよくなってくるではないか。ずっと続けていると、やがて快楽が大きく跳ね上がって……ああ、なんて最高の気分になるんだろう、と。

まだ性知識なんてものはまともにない時分だったから、それがどういうことなのか理解しないまま、いつしか毎日の習慣になっていた。
それは、成熟してからの行為とは根本的に異なり、終わった瞬間から急に冷静になって虚しさを感じる、なんてこともなかった。だから、いつでもどこでも、何回だってできたんだ。
ただ太腿に挟むだけで、大した動きはないから、行為に耽っていても周囲に気づかれることはない。学校で授業中に、席に座りながら1時間のうちに2,3回することもあった。

小学校高学年になると、性知識を持つ人間が増えてくる。やがて知識はクラス内で伝播し、それがどういうものか、ぼんやりと理解するようになってくる。
私も例外ではなかった。股間を弄ると気持ちよくなれる。その事実を知ったのは、六年生の頃だ。試しに直接、手で刺激をしてみる。これまでにない感覚だった。
けれど頂点に近づくにつれ、似たような感覚に思い当たりがあった。これは、いつもやっている、あれじゃないか。
その行為がどういうものであるかを初めて自覚しながら得た快感は、しかしお馴染みのもので、目から鱗が落ちる気分だった。それは、日頃の習慣と性行為とが密接に結びついた瞬間だった。

それからは楽しい日々だった。プライベート空間では手で楽しみ、そうでない場合は太腿を使う。成長は遅いほうだった。まだ小さくかわいらしいもので、出すものだってなかったから、時間も場所も選ばずに、一日に何度もやった。中学一年までが、人生において快感のピークだったと言ってもいいかもしれない。


変化が訪れたのは、中一の終わりから中二にかけて、くらいの頃だったように思う。
頂点に到達したタイミングで、妙な水分が出てくるのだ。知識はあったが不安になった。とうとう、やってきたのか……でも思っていたのと違う。何かおかしいんじゃないか、なんて。
子供でもインターネットにアクセスできるというのは本当に素晴らしいもので、中学に入ってからは携帯を持たされていたから、調べるのは容易だった。なんてことはない、ごく自然な当たり前の現象だった。
よくエロ漫画で描写されるような、精通の瞬間に大量に発射ということはなかった。個人差が大きいところだと思う。私の場合は毎日、少しずつ出てくる量が増えていき、やがて中三になるまでには一人前に出せるようになっていた。

困ったことに、出る量と反比例して、回数は露骨に減っていった。終わった後の余韻が長続きしない。連続でできない。疲労感が……ああこれが、話には聞く賢者モードというやつなのか。
絶頂から一転、急速に熱が失われていく現象を悟ってからは、かつての感覚が恋しくなった。もう永遠に経験することはできないのかもしれないと思うと、寂しくなる。
世の中には、あの感覚を知ることもなく大人になってしまった人だって大勢いるはずだ。私は運よく目覚めが早かった。だから比較的長い間、素晴らしい感覚を享受することができたのだと、ちょっと誇らしくもなる。

明確に精通を迎えた後は、太腿に挟むスタイルが難しくなった。無理に頑張っても汚れてしまうし、だんだん、うまく挟めなくなっていったからだ。
事後の疲労のせいか、手軽さがなくなったせいか、頻度は大幅に低下していき、次第に一般的なペースに落ち着いていったように思う。一般的とは言っても、ほとんど同時期に二次元の世界に浸かってしまったわけだから、そうでない人よりは性的コンテンツに触れる機会は多かったのだろうと思う。
定期的に爆発してしまうし、興奮を覚える対象もひどく偏ってしまった。もう、真っ当な感覚にはなれないんじゃないかという気がする。*1

 

昔から気持ちのいいことが大好きだったのは事実だが、しかし快感が欲しいからと言って、別にいつも性的なものにとらわれている必要はない。
何かを達成したり、完成させたりすれば、最高の気分になれる。文章や絵というのも、それを追い求めているから続けられるのかもしれない。
しかし、いずれにおいても欲というやつが根底にはあって、最終的に生み出されるものは、その導きに従った結果なのだ。その意味で、性欲は本当にわかりやすい原動力になる。
これからも自分を動かす活力の一つとして、時には利用しつつ、時には支配されて、好奇心を満たすために大切にしていきたい。

ちなみに、最後に冒頭の話に戻るが、今年は例年の1.5倍くらいのペースで進行している。 

 

 

本日の絵

20200607

というわけで、たまにはえっちな感じで。
まだ気になる部分が結構あるけど、裸体はだいぶ描けるようになってきた。

*1:AVを使うことは滅多にない、と言えばわかるだろうか。